料理とは、みりんである。

一人暮らしの男の家に、『みりん』があったら浮気を疑え。

そういう女性向けのハウツーを何度か目にしたことがある。

こういうことを言う女とは、悪いことは言わないから、そうそうに別れたほうが良い。石原さとみならギリ譲歩してもいいが、往々にして世の中の彼女というものが、石原さとみでないことは理解している。なのでやはり、そうそうに別れたほうが良い。

なぜか。

そいつはみりんをまったく理解していないからだ。

みりんをまったく理解していない女など、びしょびしょのフランスパンと同義だ。

みりんは何にだって使える。むしろ、みりんがなければ和食は料理は始まらない。炒めるにしても、煮るにしても、焼くにしても、とにかくみりんさえあれば形は決まる。フレンチやイタリアンでオリーブオイルをケチってはいけないように、ブリティッシュやアメリカンでバターをケチってはいけないように、和食ではみりんをケチってはいけないのだ。

みりん=浮気、なんて考えは、男がみりんなんか使うわけない。そういうちょっとしたアクセントや手心をくわえられるのは女だけだ、なんて浅はかな考えを私はしています、と言っているようなものなのだ。ましてやテレビに出てくるシェフやコックに、どれだけ男が多いか。

それくらい、みりんはなくてはならない存在なのだ。

みりんがなくなるとどうなるか。ツヤが消え、照りが消え、甘みと風味が消え、舌触りはボロボロと味気なく、塩や醤油をどれほど少量にしようとも、彼らの度が過ぎた主張を、鍋の中で押さえる存在がいなくなるのだ。

ただただしょっぱい、モサモサした、柿の種みたいなダイヤグラムをしたピーキーなステータスの料理しか作れなくなってしまうのだ。

まったくもってそのことを理解していないからこそ、みりん持ちの独身男はヤバイ、なんて短絡的であっぱっぱーな考えに対して、疑問を持てなくなってしまうのだ。

しょうゆと酒、それらと同量のみりんで、魚のあらを煮る時、ふと目を閉じると、自分が二十数年前の田舎にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

そこは父の生家で、魚がぐつぐつと煮えていく音と匂いの充満した、肩を寄せながら食事をした、狭いダイニングだ。大きな食器棚と大きな冷蔵庫がダイニングの2割を占め、その中に10人がぎゅうぎゅうになりながら、大笑いをしながらメシを食う。

年に何度か、季節の長期休暇や年末年始、帰省という形で祖母の家に遊びに行く。その時の記憶が、鍋のフタの脇から、白い湯気に混じってよみがえってくる。

祖母は田舎の漁村に生まれ、魚を扱わせたら、おそらく現存するぼくの一族の中でも、比肩する人間はいないだろう。それくらい、料理全般…特に魚料理には長けていた。あの時の味はいまだに再現し得ないが、匂いくらいは、なんとかサマになってきたように思う。

もう祖母の料理は、何年も口にしていない。祖母ともろくに会話をしていない。たまに会うが、目を患っていて、相手の顔を見るという認識はずいぶん前から出来ていなかった。今、祖母はもうずっと寝たきりで、なにをするでもなく、まんじりとしたまま、ベッドの上で日々を過ごす、という意識もなく生きているだろう。

どこか悪いわけではない。なにか悪いわけでもない。ただ自立して生活するためのエネルギーを、もはや自身の内から生み出せないほど、長い年月を生きてきただけだ。心臓が動き、肺が上下し、けれども話すことは、難しいらしい。

私は生きている、という感覚があるんだろうかと思うこともままある。

人間おうおうにして、そう思った時には、だいたいそうなのだ。

「大丈夫?」なんて相手を心配している時、すでに相手は大丈夫でないことのほうが多い。そういう場合、「耐えられそう?」と聞くのが、より正確な心配の仕方だろう。

毎年、西暦が一つ増えるたび、『ああ、おばあちゃんは今年も生き延びたな』と思う。昔はそんなことは毛頭思わなかったのに、ここ何年も、新年を迎えるたびにそう感じるようになった。そして同時に、『今年こそかなあ』など考えたりもする。

有り体に言えば、「明日でも良いかな」くらいの感覚はある。すでに後悔はないからだ。生前の祖母と、十二分と胸を張って言えるくらいの思い出を、けっして派手ではないが、素朴でささやかな過去を、たしかに築いた。

その中の思い出の一つに、「とにかくみりん入れとけ」というありがたい教えがある。魚でも、肉でも、しょうゆと同量か、その倍くらい入れておけば、料理としての体裁は整う、と。

その教えを守っている限り、ふとしたとき、鍋とフタのすき間から、祖母の笑顔を思い出すだろう。そしていつか、みりんの大事さも、祖母のことも、なにもかも、思い出せなくなる時がくるかもしれない。

それくらい長生きできれば、の話だが。

そして今日、いい感じに煮付けが出来た。コメも炊けた。いや、ここは酒かもしれない。ああ、でもビール切らしてるな。

あ! たしかみりんって酒だったよな? アルコール度数高いもんな!

そして祖母の教えを守って炊いた、煮付けをアテに飲んだみりんは、清々しいほど、苦くてまずかった。

調味料、飲むべからず。

そうだよな。しょうゆも飲んだら、死んじゃうもんな。

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