自分が感じるエクスタシーの理由を「家族」から考える

最近何度もブログに書いているが、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』というAV監督の本で、「心の穴」について書かれている。自分が人間関係に何を求めてしまうのかは、家族に対してどう感じていたかによって決まっているとのこと。

ひとつとは限らないと思うので、わたしもいくつか思いつくが、昨日新たにひとつ納得いくものを発見した。

元々わたしはあまり人に興味がなく、あえて友達を作ろうとかしなかったので、文化祭とか体育祭は冷めた目で見ていた。連絡先だって同性の同級生にさえ自分から聞いたことなんてほとんどなかった。

だからそんなわたしが、仕事で楽しくなったり、恋愛でも幸せだなと思う瞬間の多くは、人と一緒に同じ方向を向いて頑張ってる時だとか、心底笑いあってる時だったから、なぜだろうとずっと疑問に思っていたのだ。全然興味ないはずだし、人から怖がられることも多いし、人を見下してしまうことも多いにようなわたしのはずなのに、なんで幸せでとろけてしまいそうだと思う瞬間がそういう時なのか、自分でも不思議だったのである。

だから、昨日その理由を見つけて納得したし、自分を疑わずにこれからは済みそうだ。

何かというと、うちの家族はいわゆる日本によくある家族という感じで、少し亭主関白な父と、3歩下がる母、それにちょっとできないけどかわいがられる兄の中で育った。わたしが6歳までの間は海外生活だっから、旅行に行ったりもしていたけれど、日本に帰ってきてからはほとんどなくて、わたしは本音で何かを話したり相談することもなかった。

そんな普通の家族だけれど、一度だけみんなで喫茶店にモーニングに行ったことがあった。たしか、わたしが中3くらい、、だったと思う。

その時は、みんなでコーヒーを飲みながらどんな話をしたかは覚えていないけれど、とにかくみんな心から笑っていたのを覚えている。すごく楽しかった。何気ないあの日のことを、わたしはよく覚えている。

つまりわたしは、家族ともっと繋がりたかったのだ。もっと仲良くなりたかったし、両親にも仲良くいてほしいと思ってたのだ。昔、仲が悪いと思っていた両親が朝にふたりでウォーキングに行ったと聞いた時も、本当に嬉しかった。

文化祭や体育祭も、本当は同級生のみんなと一緒になって盛り上がれたらなと、実は少し憧れていたのが本音だった。

だからいまのわたしは、上辺だなと思う人や、わたしが好きになれないと思った人からは潔く離れるし、仲良いフリをしたりできない。でも反対に、好きだと思ったり、繋がれたと思う人はすごく大切にしたいし、一緒に笑い合えてることにある種のエクスタシーを感じるのである。

この事実を発見してわたしは心底納得したので、これからは堂々と人と繋がって笑い合えてる瞬間が好きだと、きちんと認めることができそうだ。

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