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降り積もる時間

 仙台の真田鰯です。
 わたしを演劇へと向かわせる動機となっている人との出会いのお話を毎回してきましたが、自分の息子のことも話そうと思います。ここではAと呼びます。現在、小学4年生、10歳です。本当に彼のことを思えば、週末に演劇の稽古などしていないで、彼と一緒に冒険に出かけるべきなんです。そんなことはうすうすわかりつつ、演劇をしています。ほかに世界を知るための方法も、世界を表現するための方法も知らないからだと思います。ジャック・ルコックは「一生を小さな水玉の中で生きてごらん。そこから世界の全部が見えてくる」という趣旨のことを言っていました。演劇に、それほど多くのひとが関心をもっているわけではないですが、それでもなお、そこには全部がつまっています。
 そんなわけでこの小さな水玉のなかで生きていくことにしたのでした。ごめんなさい。仕事は定時で帰るから許してね。


 Aとの出会いは、彼が嫁の股から出てきたところからはじまる。「赤ん坊って生まれてすぐは、本当に赤いんだな」とか「産まれた直後は、背中にこんなに毛が生えているのか」とか「さっきうまれてきたのに、もうおっぱい飲むのか」とかそんなことについて驚いたり感動したりしていた。
 それまで、演劇を創ることを通して世界を、人間を観察してきた。でも、こどもが産まれたとき、人間について、もう一度よく観察をする再スタートがきられたのだと思う。自分の人生の点検と、人間についての一からの点検が再びはじまった。 

 Aは数字が好きだった。0歳のときに絵本を読み聞かせしていて「5」と書かれているのをみて、彼は「ゴ!」と言った。衝撃だった。0歳でそんなことわかるのか。あまりに驚いて私がはしゃいでしまった。はしゃいでいる父をみて、Aはうれしそうだった。次のときは「7」をみて「ナ!」と言った。彼のために数字の書かれたフロアマットを買ってあげたら、マットの上を飛び跳ねながら1から9まで覚えた。1歳の頃である。
 それからひらがなとカタカナと漢字を覚え始め、2歳になる頃には小学1年生くらいの読み書きをしていた。
 3歳の頃には、「消火器」と書かれた札をみて「ショウ、カ、キ」と言っていた。
 あまりにも文字を読み始めるのが早く、文字から情報を吸収していったために、誤った認識もあった。文字を読む方向を教える前から読み始めてしまったために、ブルガリアヨーグルトのことを「アリガルブ」と呼んでいた。
 ある日、散歩をしていたら「フン笑ってるね」と言い出した。
 ちょっと何言ってるかわからない。
 そのとき目の前にあった看板をご覧いただこう。

  犬のフン…犬のフン、あ、犬の名前がフンだっていうこと?!
「あ、あのね、犬のフンていうのは、犬のウンチのことで犬の名前ではないのね。ウンチのことをフンていうの」
と教えてあげた。家に帰ると彼は母親に嬉々として報告していた。
「あのね、フンていうのは犬のウンチの名前なんだよ」
…まあ、ちょっとちがう。
 人間は知っている情報を組み合わせて全体像を理解しようとする。わからないことをわからないまま放っておくことができない。隙間を埋める想像力の働きがある。そのために、それぞれの地域において固有の、世界の成り立ちを説明するための神話が生まれた。
 この、客観的には「正しくない説明・理解」に、とても魅力を感じる。
 「人間は」という主語で語ってしまったが、長い中生代を夜行性の生物として、夜の闇の中で、嗅覚や聴覚をたよりに捕食者から身を守ってきた哺乳類全体の獲得形質である、って子供のころ本で読んだ。何億年も前から継続的に手に入れてきた能力だと考えると、想像力って愛おしい。

 Aはとてもたくさん食べた。生まれて初めて飲んだ母乳の量が多すぎて看護師さんが驚いていた。
 Aが食べたり飲んだりしている姿はいつでも愛おしかった。
 そして食べたり飲んだりしている姿が愛おしいというのは大きな発見だった。
 食べ物屋に勤めている女子で「人が何か食べてるの見るの好きなんですよね」という発言を聞いたときはびっくりした。そんな感性もあるのか。
 さらに「お年寄りの方が何か食べてる姿ってかわいいですよね」という発言を別の女子から聞いたときは心底驚いた。何言ってるかわからない。
 わからなさすぎて数日悩んだ。
 それからふと、数年前の会話を思い出した。
 当時まだ2人とも30代だったが、いささかナイーブな内臓を抱えた長塚圭史さんと私は、飲み会の席で、脂っこい肉を前に、完全に挫折していた。食べたらきっと気持ち悪くなる。てかそもそも食べたくない。
私「お年寄りが揚げ物食べてたりするのみると、ちょっと感動しますよね」
圭史さん「ああ。蜷川さんとかあの年でうなぎ食うんだよ。すごくない?」
その会話をした翌年に、演出家の蜷川幸雄さんは亡くなった。
 つまりこれは意思の問題なのだと思った。
 食べるという行為の中には「生きよう」という意志がある。「食べ物がのどを通らない」という状態には「生きたいと思えない」つらさがある。
 生きようとして食べようとする姿は感動的とも言える意思が伴う。そして、どれほど生命力にあふれ、生きたいと思っていてもいつかは死ぬ。
 そんなことから『パッヘルベルのカノン』という作品は生まれた。どれほど食べることにうんざりしていようとも、世界中から疎まれていようとも、最後まで食べ続けることをやめない、生き続けることをやめないおじいちゃんのお芝居だ。そのときのお話はこちら

 Aの話に戻そう。
 とても記憶力がいい。
 小学1年生のときに2人で旅行をした。
 旅行から戻って半月後くらいにおもむろに
「○月○日に、日本科学未来館の前で、先生が、子供に『静かにしなさい』って言ってたよね」
と言った。一瞬なんのことかわからず、困惑した。思い返せば、確かに、我々が訪れた日本科学未来館の前には、修学旅行生がいて、先生がそのように言っていた。
 驚愕である。
 もはやどのくらい記憶されているのか検討もつかないが、彼の中には時間が堆積していて、堆積した時間の中から必要な情報を取り出すことができるようなのである。 

 そして一緒に旅行していて感じたのは、文字や看板から読み取る情報量が多い。電車の乗り換えにしても、目的地への移動にしても圧倒的に情報をキャッチするのが速いので、おおむね父を案内してくれる。

 耳が良い。他人の感情を捉える能力も優れている。
 幼い頃、ピアノの練習をしていて、嫁が
「そうじゃないでしょ、悲しい曲なんだから。ちょっとママ弾いてみせるから聞いてて」
と言って弾いて聞かせたら、悲しくなりすぎて号泣してしまったらしい。

 まとめると、私が想像できるよりもはるかに多くの情報をキャッチしていて、その膨大な情報と時間の多くは、彼の内側に堆積し続けている。

 コロナ禍が始まって学校が休校になっていたころ、自宅で過ごしながら彼は
「コロナを全部吸い取っちゃう掃除機を作って、世界中のコロナをぜーんぶやっつけたい」
と言っていた。子供らしい発言だと思ってニコニコ聞いていたが、彼はしゃべりながら泣き出してしまった。
「だって絶対に、ぜーんぶやっつけたいんだよ…」
激しく泣いていた。彼は真剣だった。真剣に憂えていた。
 世界のすべてを彼に救ってもらいたいと思った。自分にはできなさそうだが、彼にはできそうだ。混迷を極める世界の全部を救ってもらおう。賢いからできそうな気がするし。そのために、自分は学べることはすべて学んで伝えようと思う。

 そんなことをAが望んでいないことも知ってる。息子は父親に世界の全部を学んで、世界の全部を救う方法を伝えて欲しいのではなくて、一緒に遊んでほしいのだ。わかっていても間違える。大人だって、わかっていたって、間違える。その辺のことも伝えたい。

 演劇を通して、Aには愛を伝えたいと思う。ただ、愛だけあればうまく行くものでもないことも伝えたいと思う。いかんせん、すべての時間が堆積しているのだ。うまく振舞えることも、うまくいかないこともある。
 ただ父の中にも、いっしょにみた朝日がきれいだったことも、冬の山道で食べたサンドイッチも、すっぱすぎる梅ジュースも、温泉ですべって転んだことも、ひざの上で飛行機に搭乗したことも、笑いながら駆け下りた坂道も、いろんな時間が堆積していて、どの時間のこともやっぱりみんな愛おしくて大事なんだということを伝えておきたい。
 そのうえでやっぱり全人類の愛おしい時間を守ってくれたらうれしい。
 お父さんはとてつもなく狭い範囲の人類を対象に、愛をこめて演劇をつくろうと思う。



真田鰯の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180


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