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ライターとしての「譲れない価値観」

先日、Twitterで取材記事の制作負荷についてライター界隈で議論が行われているのを、傍観者としてただ眺めていた。私自身、取材記事は制作負荷が軽いと思ったことはない。取材記事といっても、ただ取材した内容を書き起こすわけではなく、取材の準備から記事化するまでにさまざまな工程と作業が必要だ。記事コンテンツの中でも作業工数が多い部類に入ると考える。

一方で、軽く捉えている人もいる、とも思うのだ。2年ほど編集の業務をした経験があるが、取材した内容を少しだけ整理してほぼ書き起こしのままで原稿を提出するライターさんに出会った経験がある。文字起こしをせず、取材時のメモを頼りに執筆するライターさんもいた。私の思い描くスタイルとは異なるため、大きな衝撃を受けた。

とはいえ、ライターによって書き方は三者三様なので、何が正解なのかは正直分からない。ただひとつ思ったこととすれば、これまで経験を積んできた環境によってスタイルが構築されている可能性は大いにあり、「そのやり方しか知らない」のかもしれない、と。実際に自分自身もライターとして初めて働いた環境に大きく影響を受けている。それは、ライティングだけではなく、インタビューの仕方、編集の仕方も同様だ。制作負荷に対する感じ方も環境要因だと思う。

そんなことを考えていたら、自分が過去に何を学び、いまの価値観を形成させたのかまとめてみたくなり、筆をとった(毎度のことながら前置きが長くなり大変恐縮です…)。

※前提として、フリーランスになる前はウェブ媒体のみで編集とライターの経験をしていました。紙媒体(いわゆる編集プロダクション)での経験はないため、ここでは「ウェブ媒体での記事制作」についてお話ししています

「読みやすいさ」と「空気感の表現」は必須事項

私は、未経験からライターになった。どうしても入社したい会社にライターの募集しかなかったため、エンジニアからライターにジョブチェンジした。国語は苦手だし、本を読むのも苦手。文章に関しては全くの素人だ。

お察しの通り、そんな私に最初から記事が書けたわけではない。特に取材記事は壊滅的に書けなかった。先輩ライターに怒られる毎日。何度「ライターなんてやめておけばよかった」と思ったことか。そんな私の心情はこの際どうでもいいが、怒られる理由は大きくふたつあった。

● 何を伝えたいのか分からない
● 取材時の情景が浮かばない

● 何を伝えたいのか分からない
今となっては考えられないのだが、ライターになりたての頃、インタビュー記事は文字起こしを少し整えるだけでいいと思っていた。そんな状態で提出したら、そりゃあもう指摘されまくり。「話し言葉と読み言葉は違う」と何度も言われた記憶がある。

先輩ライターが同じ内容の記事を書いてくれたおかげで理解できたのだが、取材で話している内容は一貫性を持たない場合がある。取材中に話が脱線することは普通にあるし、発言が矛盾していることもある。それをそのまま書くと何を伝えたいのか分からないし、読者は理解できない。また、言い方を変えて同じ内容を何度も言っている場合が多い。取材時は声色や表情などから言葉に対する強い思いを受け取れるが、文字で同じことを繰り返すとクドさを感じる。ウェブの記事は文字数の制限があまりないため、長くなりがちだ。その中に分かりづらい発言や、同じ内容が何回も書かれていたら読み進める気力が失せてしまう。会話を文字にする作業は、「一貫性を持たせるためにパズルのように組み立て、無駄をそぎ落とす」と学んだ。

● 取材時の情景が浮かばない
ワンランクアップした私は、とにかく「読みやすい文章をつくる」を徹底した。そうして提出した原稿に、さらなる指摘が入る。「空気感がまるで伝わらない、つまらない記事だ」と。私は泣いた。泣いてもどうしようもないので、とにかく先輩ライターの記事や世の中のインタビュー記事を読んで研究した。

当たり前だが取材対象者はそれぞれ違う人間なので、話し方も言葉の使い方も違う。取材中に笑う人もいれば、淡々と話す人もいる。砕けた話し方をする人もいれば、敬語で丁寧に話す人もいる。専門用語を使って端的に説明する人もいれば、分かりやすいようにかみ砕いて説明する人もいる。この「個性」を文章で表現しろと言うのだ。

先輩ライターたちは、会話中の臨場感を文字で表現するのがとにかくうまかった。言葉尻を変えたり、専門用語はそのままに表現して補足をつけたり、取材時の空気感を、伝わりやすい言葉で表現していた。こんな高等技術が自分に扱えるのだろうか……と不安に思ったが、何度も書いて先輩ライターに見てもらい指摘を受け調整する、これらをめげずに取り組めば、不思議と形になってくる。徐々に指摘が減り、ほぼ赤が入らなくなった(あまりに指摘され過ぎて、指摘がないことへ不安を覚えるほど)。

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根性論になってしまうが、こればかりはとにかく書くしかないし、とにかく指摘をもらうしかない。指摘する人が周りにいない環境であれば、SNSなどでライター仲間を見つけ、原稿を見せ合い感想をもらうなどしてもいいかもしれない。

インタビューは「面接」ではなく「会話」

ライター初心者の私は、インタビューも初心者だった。エンジニア時代に営業研修をしていたので、最低限のマナーやコミュニケーションの仕方は学んでいたものの、営業とインタビューは似て非なる。

インタビュー自体は記事と比較すると指摘されたり怒られるたりすることはなかったが、ひとつだけ先輩ライターに言われて、いまだに心に残っていることがある。

「質問に対する回答がひとつ終わるたびに会話が切れる状態は、取材対象者が次の質問に身構えて緊張してしまう可能性がある。インタビューは“会話”だと思った方がいいよ」

最初の頃は「次の質問は…」と前置きをする、事前に準備してある質問票の順番に必ず沿って質問をしなければと思っていたが、それだと「会話」というより「面接」に近い。「面接」の緊張感は誰しもが一度は経験しているだろう。ただでさえ、取材はインタビュイーが緊張している場合が多いので、雰囲気づくりは非常に重要なのだ。

なるべく会話を止めない意識と、話しの流れ的に質問できそうなものから質問していく意識を持つようになった。当日質問票は持っていくが、質問はできる限り暗記し、取材中はインタビュイーの目を見て話すようにする。質問票に書いてあることだけではなく、取材前に調べた記事の内容やSNSでの発言なども頭の中に入れておくと、スムーズに会話ができると判明した。

また、「用意した質問内容を絶対に聞かなきゃいけない」と思い過ぎないことも大切だった。絶対に聞かなければならない質問(記事の軸となる質問)は別として、会話で盛り上がった部分を深く掘り下げていった方が濃い内容を引き出せる。記事テーマに沿った大枠の質問を2~3つ絞っておくのも役に立った(ほかにも質問票を考える段階で簡単に記事の骨子を考えておくと記事化がスムーズになるのでオススメ)。

編集者は「第一の読者」

少数精鋭で自社のウェブメディアを運営していたため、ライターと編集の仕事は兼務だった(プラスでほかの業務も行っていた)。ライター兼編集4人程度の編集部で、原稿に対してふたりが確認するという体制を取っていた。

記事は毎日更新。自分でも記事を書かなければならない状況で編集作業を行うのはなかなかハードではあったが、ここでも先輩ライターの受け売りで意識していたことがある。

「編集者は『第一の読者』という感覚を持って確認しよう」

記事の赤入れをするだけが編集者の仕事ではない。編集者は記事を初めて読む「第一の読者」だ。編集者にとって「面白くない記事」「伝わらない記事」は読者にとっても同じ可能性が高い。できるだけ読者目線での編集を意識していた。

そして、ただ編集をするだけではいけない。なぜ編集したかライターに説明するという作業も編集者の仕事だった。編集された理由が理解できれば、次の原稿に反映してもらえるかもしれない。そうすれば編集者の負荷は軽減される。逆に説明できないのに編集するのは、編集者の単なるエゴの可能性もある。ライターさんは自分の中でベストな原稿と思って提出してくれているはずなので、何も言わずに赤だけ入れられていたらどんな気持ちになるか……想像するだけでも切ないし悲しい。

● 記事の感想を伝えること
● 説明できる編集だけを入れること

ライターさんと編集者さんの関係構築にも非常に役立つ意識だった。ライターが伸びるか伸びないかは、ライター自身の努力はもちろんだけれど、編集者の接し方も大きく関わってくる(ソース元は私自身)。

ただ、フリーランスになってから、このふたつの意識を取り入れている編集者さんはかなり少ないように感じる。実力のあるライターさんしかいらない、という運営方針の媒体も多い。それが間違っているとは思わないが、ライターの実力がピンキリになってしまうことや、報酬構造に階段がない(最初に決まった報酬以上にならない)のは、そういった側面も起因しているのだろうなと思ったりする(編集者うんぬんは関係ない話だけど)。

とにもかくにも、私はこの意識が身につく環境に所属することができて本当に良かったと思っている。

譲れない価値観を形成させる“故郷”

前述した内容以外にも、企画の考え方(公開後の数字の予想を立てて企画を考える)、記事のクリエイティブ(アイキャッチ画像の選定やデザイン、記事のどこに画像を持ってくるか、どこに太字を使うか、箇条書きの使い方など)や納期(納期を守らないといろんな人に迷惑がかかる)、取材前後の取材対象者とのコミュニケーションの重要性も学んだ。

もちろんフリーランスになってからも学びだらけだ。複数の媒体でインタビュー記事を書いているが、媒体によって色が異なる。ビジネス系の媒体とエンタメ系の媒体では読者層が異なるため、書き方を変える必要がある。会社員時代、インタビュー記事はQ&A式でしか書いたことがなかったので、地の文を入れる書き方はフリーランスになって初だった。紙とウェブの書き方の違いもフリーランスになってから学んだ。紙の記事は文字数がしっかり決まっているし、ウェブ記事にはあまり馴染みのない「校閲」が入る(中には校閲してくれるウェブ媒体もある)。編集部によって編集スタイルに違いがあると知った。

新しい媒体で書くたびに学びがある。約4年ライターや編集の仕事をしていても、だ。自分がまだまだ未熟だということを何度も実感する。同時に、ライターとして編集者として育った環境(故郷)でつくり上げられた価値観は、「当たり前」として私の中に君臨しており、どうにも譲れないのだ。

ただ、それを他人に強制はできないとも思う。これまで培ってきた「当たり前」は人それぞれだから。理想のライター像や編集者像を挙げればキリはない(前述した内容くらい共通認識として持っていてほしいと思うこともある)が、割り切る必要もある。制作負荷うんぬんの話もそうだが、価値観の合う者同士で手を組めたら幸せだな…と思いながら、今日も仕事に向き合うのであった。

阿部 裕華(@zukizucchini

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