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スポーツにおけるコーチング学

 今回は私が専門とする「コーチング学」についてまとめてみたいと思います。よく研究の専門を問われた際「コーチング学だ」というとコミュニケーション・スキルとしてのコーチングだと思われることが非常に多い(混同している?というよりコーチングとはスキルのことと思われている?)ですね。要はそれだけコミュニケーションの方法についての興味が世間の中で強くなっていることともいえましょう。

 コミュニケーション・スキルとしてのコーチングは特にビジネス界にて多く飛び交う言葉であり、集団や部下をうまく導き組織として最大のパフォーマンスを引き出すことを目的としています。伊藤(2002)は「コーチングとは、戦略的なコミュニケーション・スキルの一つであり、コーチとは、会話を広げ、会話を促進する、コミュニケーションのファシリテーターである」と述べています。これからもわかるように、ビジネス界で飛び交うコーチングという言葉は先に記したようにある一つのスキルとして用いられています(おそらく多くの人が連想するのはこちらでしょうか)。

 さて、スポーツ科学における「コーチング学」「コーチ学」が指す“コーチング”とは、世間で言われるコミュニケーション・スキルをも含んだ、アスリート(選手)にとって望ましい結果を導くために行うコーチの行動の全てを含んでいます。そしてそのコーチングは、アスリートの競技力向上だけでなく心理的幸福感を得ることや、セカンドキャリアの形成に至るまで様々な目的を果たすことを目指しており、学問としての対象とする領域は非常に多岐にわたります。私が今後記事にしていく際に用いる「コーチング」は文部科学省のスポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議(タスクフォース)(2013)が述べる、競技者やチームを育成し、目標達成のために最大限のサポートをする活動全体のことです。簡単に言えば、コーチの活動全てがコーチングという言葉が用いられる対象になると思っていただければ分かりやすいでしょうか。

 これを踏まえ、”コーチング学とは何か”について日本コーチング学会(2017)では、「スポーツの練習と指導に関する理論」「練習と指導に関する一般理論」と説明しています。スポーツ現場から得られる経験的で個別的な知見を帰納的に集約し、普遍的な一般理論を築きあげることを目指して研究が行われます。
 元来スポーツ科学は、バイオメカニクス、スポーツ心理学、スポーツ生理学…、といったように様々な研究領域に細分化されていました。しかしスポーツをする上では、細分化されたある研究領域に長けていただけで競技上の課題解決・競技力向上が達成できるわけではありません。例えば、バイオメカニクスを生かした技術指導により優れた技術を選手が習得していたとしても、その選手が緊張によりパフォーマンスが低下しやすい傾向にあれば優れた技術を発揮することが出来にくくなります。つまりコーチがバイオメカニクスを背景とした技術指導が優れていたとしても、それだけでは指導は成り立ち得ず、優れた技術を試合や競技会で十分に発揮できるようスポーツ心理学を通した心理的サポートも行われる必要があるわけです。アスリートのパフォーマンスの低下要因は、純粋な技術的問題で解決できるわけではなく、心理的問題や生理学的問題など様々な要因が絡み合った結果生み出されるものであり、“単なる動作不良”で結果が出ないということはそうありません。
 加えて、確信を持ってできた動作とたまたまできた動作の違いはバイオメカニクスなどでは区別ができません。有効なスポーツ指導を行うことにとって、自然科学的(普遍的法則を探究するために再現可能な観測や実験を行う)な研究領域だけでは不十分です。


 しかし、自然科学的研究においてはこうした複雑に絡み合う要因・文脈をはじめから取り除く必要があります。アスリートのパフォーマンス低下の原因が心理面など様々な要因が絡んでいたとしても、動作解析においてはそうした要因は捨像されてしまいます。捨像されて出た知見は、あくまでも文脈から切り離された普遍的法則であり、現場の問題解決に直結しない場合が多くあります。

 こうした事実を踏まえ、コーチング学はスポーツ現場で実践される指導を帰納的に集約することで、その中から現場の実践に役に立つ知見でありかつ普遍的原理・一般的法則(ある現場だけに通ずるのではなく、他の現場でも当てはまる)を見出すことが目指されています。スポーツ現場ごとに(指導者ごとに)様々な指導法が存在していますが、それらを集めて分析した時に、どんなスポーツ競技や現場・場面においても活用できる知見を見つけ出せられれば、スポーツ指導における専門的知識を体系化することができます。

 現場から切り離された知見ではなく、現場に通ずる“科学的知見”を提供しようとしているのがコーチング学の方向性です。科学と実践が遠のければ遠のくほど、科学の目的は果たせなくなります。より良いスポーツ競技活動を実現するために、科学本来の目的を忘れずに研究を行わなくてはなりませんね。

参考文献

伊藤守(2002)コーチング・マネジメント,ディスカヴァー・トゥエンティワン.

文部科学省(2013)スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議(タスクフォース)報告書.https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/sports/017/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/06/12/1337250_01.pdf(参照 2020年4月4日)

日本コーチング学会(2017)コーチング学への招待,大修館書店.

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