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ナンダーMAX結成秘話

千葉一磨です。2006年、『天才てれびくんMAX』に出演することになり、笠原拓巳くんと出会ってからだいぶ、月日が経ちます。視聴者の皆さまにおかれましては、2008年度に立ち上がった企画『熱血!漫才部』で漫才コンビ「ナンダーMAX」を組んでから、ところどころでネタを披露していることが印象に残っていることでしょう。

今回の記事では、結成以前そして結成当時に話を遡って、いまだみなさんにお教えしていないことをつらつらと記述して参ります。

先述の企画当初、僕と笠原は「ナンダーMAX」というコンビ名ではなく、「カズタク戦士」と名乗っておりました。最初のコンビ名は、実は安田大サーカスの団長を交えて会議をしたところからつけられました。安田団長は「なんでもええねん。好きな食べ物は?」と尋ね、僕らはそれぞれカレーとラーメンを挙げたため、「ほな、カレーラーメンで。」と即決しようとしたのを覚えています。団長は漫才部に関して特に考えてくださっていた方で、自分にとって感謝・尊敬すべき方の1人です。結局、ディレクターたちとブレストを重ねて一つ目の名前が決まったのです。

そして、漫才部の結成に欠かせないのが我らが先生、徳田神也先生。はじめに、「中学生が漫才やって、意味あるんかな?」と問いただされ、死ぬかと思いました。ビビりました。ただ、この問いは今も俳優に置き換えて自問自答しています。

そんな徳田先生の前でネタ見せをし、M−1グランプリ2008挑戦に対する志と力量を試されることに。自分たちがネタ見せの場所に到着すると、たくさんの芸人たちが正座して徳田先生を待っています。自分たちがいない間は、「徳田先生〜!正座辛いっすよ〜!」と言っていたそうなので、騙されてたようなのですが、まんまと会場の緊張感に呑まれました。結果、「あ〜。こんな思いするなら、漫才やりたくね〜な〜あ!!こええ!」と、心の中で思ったのであります。印象的だったのは、僕ら以外のコンビが漫才している間も、他の芸人さんは正座しながら黙って待機しているので、僕もそういうものなのかと黙っておりましたが、横で笠原は一つ一つのくだりで笑ってたことです。「おい!ドヤされるぞ!ヘラヘラすんな!」と内心思っておりました。しかし、俺が間違っていたようです。そして、徳田先生はどんな時であっても、理性的に課題を教えてくださったのだなと感じております。覚えてるのは、「セリフを一字一句変えるな」ということ。やる気あんのか、とかではなくすでに技術論だったんですね。僕らが漫才することを前提としていたのです。徳田先生は先輩芸人(多分、レツゴー三匹さんだったのかな)のカレンダーのようにネタ順を記憶してどっからでもネタに入れるエピソードもその時話されていました。しかし、正直自分はネタ見せ後は漫才を続けることを考えていませんでした。

さて、ナンダーMAXという名前になる前、Mー1に出る決心がつくまで、自分は2時間くらいかかりましたが、一体どんな葛藤があったのでしょうか。

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