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noteという村社会(抜粋)

 いつぞやでも語った「noteという村社会」。この異様なシステムに悩み毒されて、病んでいく人、やめていく人もけっこういます。最近は「コンテスト」や「バトン」なんかで怪我をした人がいましたね…(私は今日車にはねられましたがw あ、平気ですw)。私は「noteという村社会」をべつに否定はしてません(さんざんnoteの悪口言うくせに?w←)。またやめていく人がいるのもまあ寂しいけど止めやしません。辞めると宣言する人に一度も踏みとどまってと言ったことがないのを知ってる人、いますよね。でも病み続ける人がいるのを見るのはちょっとね…、でもなるべく気にしない。あまりに見るに堪えなければ、助言する、助ける…なんて優しさは私にはなくて、サクっとミュート(アンフォロー)します。
 私の好きな大正前後の自然主義の文豪たちは、なんとか派とかなんとか会とかのサークルの集まりや文章の寄せ集めはあったと思うけど、いまの時代、いまのsns、いまのnoteのような「社会」にあまり悩まずに書いてこられた人が多いんじゃないかなぁって思うんです。それはもちろんそのサークルの集まりの中や寄せたコラムで延々と自己流かつ他人が聞くと何か気になって嫌な気分になる文学論を語ったり、集まってたら議論ふっかけてくる先輩もいたかもしれない。編集者は世間受けを狙いましょうよとネチネチぐちぐち言ってきたかもしれない。でも、昔はやはり今とは段違いに情報流通・交換速度が遅かったから、あまりそういうのを耳に入れまいとすれば耳に入らず、のびのびと自己流で書けてたんじゃないかなって思うんですけど、って高卒で無学の私は思うので誰か文学部の人解説下さいw

 noteでは同じように、あ、「文学」を挙げたのは例えば、ですよ?noteのいろんなジャンル(詩とかエッセイとか企画とか音楽とか)に当てはめて聞いてください。同じように同じような活動をしている人がいて、その人たちと自分がお互いを観察、いえ、評価?いえ、監視、といったら言葉が悪い?でも本当はそうなんでしょ?(笑) してますよね。

 あの人は、あんな文章を書いてるけど、私とは違うから、まあまあ良いけど関係ないだの、まだまだ純文学だなんて言ってるけど程遠いだの(そういうお前は純文学の何を知ってるンダw)…。

 でもnoteの同ジャンルの人たちの、…えーと語彙が貧弱でやはり言葉が悪くてすみません!「レベル」って玉石混交、いや…、「宝石のような方も石ころのような人も一様にたくさんいる」?
 違うね。宝石のような人はあなたを含めてほんの一部、他はほとんどそれ以下、石ころ。
 私はそう思うし、わかってる人はそう思ってるし、わからない人はそう認識しておいた方が良くてそういう分からない人は、「石ころ」です。
 …という話しの似たようなことを、前の音楽の記事の中で書きました。

「人生の幸せ・不幸せのバランスは、五分五分」と思ってる人が多そうだけど、実際は
 「人生の良し悪しは極端にマイナスよりの指数関数だった」誰にでも。という認識に改めなくちゃいけない、と思っています。
 …と。

誤解しないで下さい。あなたは、「玉」のほうに入ってる、と私は言っている(「宝石のような人はあなたを含めてほんの一部」)。だけど、そうじゃない方はあなた(とその作品、でも主にやはりあなた)を見てる。見て、いろいろ思ってる。 それが、透けて見えるんでしょう?人って、誰でも誰に対しても、エスパーとかじゃなくても、何考えてるかわかっちゃいますよね。先生が「あなたのために言うのよ」と言う時、子供の時分でもいつも簡単に嘘だと見抜けたじゃないですか。

 でも、だから、あまりにもたくさんの勢力が圧力として襲ってくるんだから、等しくそれを浴びてればいいと思う。そうすれば圧力は拮抗して、気にならなくなるから。
 …圧力が拮抗するには、体の内側からも圧をかけなきゃね。だから、心のバリアを張って受け入れない、ではなくて、受け入れる。「ふーん、きみはそう思うんだ?へー」って。

 …こんな感じにねw

 私は最近は主に音楽で活動してるけど、私はまあまあ「玉」だぐらいは自負してるから、他の先生方々の目は、全く気にならないです。
 すごいプロの方やプロ級で人気のあるアマの方もいるのも知ってるし(でも好きじゃないからフォローしてない)、プロなのに私より人気ない人もいるし、私より初級なのに人気がある人もいるけど、他人は他人。わたしはわたし。まーったく気にならない。
 それはなぜか。
 それは、私という存在は唯一無二であり、私が作るものも唯一無二だから。
 だから何ものも比べることはできないから。

どうしても、絶対に、それだけは譲ることができない。
 …それを貫いてる自覚さえあれば、毎度のけっかはどうあれ、ラッパが月曜日に鳴ろうがならなろうが、気になりません。
 文豪は、ぐちぐち言い訳をしなかったと思うよ(スランプに悩んだりはしたと思うけど)。
 …何を言いたいかというと、
 もっと自分に自信を持って、言い訳なんて一切抜きに、常に「自分の全力」を出せばいいと思う。

やるべきことは、それだけでしょ。

追記:

 この記事は、四宮麻衣さんへのつぶやきへのアンサーノートです。彼女への、応援としての私なりの考えとして。さらにそのアンサーノートを頂きました。

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます