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女風ダークアカデミア 第1話 クレオパトラの夢 第14話 カミナリ

 スーパーでの買い物を終えた帰宅途中、古いプジョーは国道から左折して自宅への急な坂道を元気に駆け登ると、真っ暗な駐車場で停車した。外が明るくなったと思ったら、それは稲光で、一瞬鋭い光が古い洋館の姿を照らし出すと、またすぐに暗闇に戻ってしまった。しばらくしてゴロゴロと雷の音が周囲に響き渡ると、雨粒がポツポツとフロントガラスに落ちてきた。雨粒は次第に大きくなり、プジョーの屋根を雨が強くたたき始めると、大衆車で防音材があまり入っていないせいか、金属音の雨音が車内に響き渡るようになった。春の嵐のような強い風が、洋館の周りの針葉樹を揺らしていて、大きな風切り音が車内まで聞こえる。

 古着の紙袋を肩にかけ、買い込んだ数日分の食料の入ったショッピングバッグを二つ握りしめて、僕は駐車場から小高い丘に建てられている洋館の玄関へとダッシュした。濡れた階段を小走りで駆け上ると、数本買い込んだワインのボトルがカチカチと音をたててぶつかり合って、思わず走るスピードを緩めた。雨はさらに強さを増して、バッグを持った両手の甲に大粒の冷たい雨が降り注ぐ。濡れてスリッピーになった階段、カチカチと音をたてて割れそうなワインボトル、吹き込んでくる冷たい風に不快さがマックスになった。

 コンクリートの上にワインのボトルを割らないようにそっとショッピングバッグを置いて、手探りでポケットの中のキーホルダーを探し出した。暗闇の中ドアのカギ穴を探すが、暗闇と手の震えでカギが入って行かない。玄関の外灯をつけ忘れて外出いたことにひどく後悔をして、僕は舌打ちをした。また稲光が走ると、こんどは耳元で和太鼓を思いっきり叩いたような雷の音と地響き、空気の振動が僕の身体を突き抜けて行った。
 「近くに落ちてるぞ、やばい・・・」
 そうつぶやいて焦りながらなんとかドアのカギを開けて、玄関ホールに荷物を置いて電灯のスイッチを入れるとキッチンに直行した。今から料理をする材料以外は冷蔵庫に入れ、買った2本のワインはワインセラーの空いたスペースに滑り込ませ、乾物類は戸棚にしまい、暖房をつけて缶ビールのプルトップを引いて空け、すきっ腹の胃袋に冷たい液体を流し込んだ。
 「生き返る・・・」
 ほっとしたのもつかの間で、さっそく調理を始めよう。座った状態でアルコールが回ってしまったら、ソファーに座ってスマホで動画をダラダラを見て調理なんてする気がしなくなってしまう。スマホの天気予報アプリで、この悪天候が何時まで続くのか知りたいが、スマホに手を触れず玉ねぎのみじん切りを始めた。カミナリの音は今だ続いていて、時折ゴロゴロと低く唸るような音が響いている。

 戸棚にレンズ豆があったので、ソーセージとレンズ豆の煮込みのソーシソン・オー・ランティーユを作ることにした。ほんとはポトフにしたかったが、塩漬け豚を作るのに数日かかるので却下。おでんも捨て難かったのだが、洋館に引っ越た初日は洋食を作ってワインでも飲んでみたい気持ちが強かった。幸い訪れたスーパーの精肉売り場は、ドイツで修行したのが売りの、地元の食肉加工会社が入っていて、デパ地下並みにソーセージやベーコンの加工食品が豊富で、大き目のソーセージ数本とベーコンのブロックを300gほど買ってきた。戸棚からレンズ豆が入ったキャニスターを取り出してさっと水洗いをしてざるにあけた。レンズ豆は他の豆と違って、水に浸しておく必要がなく、すぐ調理ができるので便利だ。水玉ねぎのみじん切りと、人参の乱切りをさっと作って、ソーセージの表面に串を使って穴を数個ずつ開けていく。これは皮が裂けるのを防ぐためにするだけでなく、ソーセージの燻した香りやひき肉の旨味が染み出して、レンズ豆をおいしくするためでもある。ベーコンを一口大に切り終えた。鍋を取り出して熱し、玉ねぎのみじん切りを炒め始めると、ジュッという音がして、鍋からほのかに甘い香りがただよってきた。にんじんとレンズ豆を入れて木製のターナーでかき混ぜて、玉ねぎの水分がなくなり油が全体にまわってきたなと思ったら水を入れてソーセージとベーコンを入れる。ベーコンは燻製した香りと肉を塩づけして水分を出して、肉の旨味を凝縮しているのでいいダシがとれる。固形のブイヨンなんて必要ない。沸騰してきたら灰汁を丁寧に取って弱火にしてしばらく煮込む。約10分ほど煮たらまた水を足してさらに10分ほど煮込むだけで完成だ。キッチンタイマーを10分にセットしてスタートボタンを押すと、デジタル数字のカウントダウンが始まった。時間は残りのビールを飲み干して、冷蔵庫からもう一本ビールを取り出して楽しむことにしよう。時折カミナリが鳴ってはいるみたいだが、さほど気にならなくなってきた。音楽がかかっていないのに気付いた。ステレオのネットワークレシーバーでクラシックのラジオ局を探して、お勧めのBBC RADIO3を選ぶと、どこかで聞いたことがあるが、曲名はわからないバイオリンの曲が流れてきた。BGMはちょっと聞き覚えがあるくらいの曲がちょうどいい。程よく耳に引っ掛かかって、いちばんリラックスできる。

 スーパーでの買い物の途中、レンズ豆の煮込みにあうワインをスマホで調べると、赤はメルロー、白はシャルドネが出てきたので、どこにでも売っているカンガルーのイラストの安価なオーストラリア産のメルローとシャルドネを買ってきた。ハーブ類はあまり使っていないので白でいこうかと思ったが、あいにく冷えていないので赤のメルローを選んでスクリューキャップを開く。たくさんあるワイングラスの中で、背の低くていちばんカジュアルなグラスを選んで開けたばかりのメルローを注いで口にふくむと、柔らかな酸味と果実味が口内に広がりフルーティーな香りが鼻腔をぬけてゆく。キッチンタイマーは残り4分を指しめしている。タイマーの鳴るまで、このバイオリンに耳を傾けて、曲のタイトルが何だったか思いをめぐらそうか?そう思ってもう一口メルローを啜った。





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