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淀川長治さんのゴダール評が印象に残っている。

昨日、墨田区に新しくできた映画館で「ゴダールのマリア」を観てきた、という記事を書いたのですが、ゴダールつながりで思い出したことがありまして、今日はそのことを書いてみたいと思います。

映画評論家の淀川長治さん(1909-1998年)が、たしか「ゴダール、私あの人きらい!」みたいなことを書いていた評論があったように記憶しているのです。

淀川さんと言えば、どんな作品でも良いところを見つけてきて褒めてあげる、みたいな信条を持っていた方だったと思います。

そんな信条の方がダメ出しするのだから、よほど認めていないのかな〜と、その評論を読んだときに思ったのでした。

その評論を探してみたのですが、今唯一本棚にある淀川さんの本がこちらの本なのですが、

1992年発行


あれ?

ゴダールのことを意外と褒めていました。。

少し引用すると、

 人間をにらみつけ、つかみ出すこの監督の新作「パッション」は、実に待ちかねたゴダール新作なのだ。
 「勝手にしやがれ」からなんと23年たったいまも、ジャン=リュック・ゴダールはいささかもその映画手法を変えることなく、つまりは世間にこびることなく、信念一本、ゴダール映画を貫きとおしているその執念その自信に、あらためてゴダールを見つめる力作である。

324pより。

 映画は古典名画と同じレベルだぞ、その画家たちを画聖というならば、おれも映画の聖画家であるぞの意気ごみを感じさせ、しかもラベル、モーツァルト、ドボルザーク、フォーレ、ベートーベンなどの音楽を加えて、さらに映画美術の偉大さに、ゴダールは肉迫する。

325pより。

極めつけはこのお言葉。

 やはりゴダールは名人であり、天才であり、映画芸術家にまちがいはない。

326pより。


いや、絶賛ですね!


ただ、同じ本に、「私は好きではなかった。」とも、やはり書かれていました。
好きではなかった理由は、どうもゴダールが「勝手にしやがれ」を世に送り出したことにより、”勝手な撮り方が新しくてかっこいいんだ。”と、世間の映画作家に悪影響を及ぼした、という点にご立腹だったようです。

凡人が天才の真似をするアイタタタ・・な作品がたくさん生まれてしまったのかもしれませんね。

「日曜洋画劇場」での優しいおじいさんの印象が強いだけに、珍しく感じた否定的な言葉遣いが印象に残っていただけのようです。普段優しい人が怒ると怖いですからね・・。

それでは今日はこの辺で。

「さよなら、さよなら。・・さよなら!」

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