天使は奇跡を希う 七月隆文

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記事

そうしてまで、優花が叶えたいこと。彼女の願う奇跡、それは――「天使は奇跡を希う」049



 星月優花は、駅前で彼と別れ、一人で歩いていた。

 彼女が毎夜、必ず立ち寄る場所へと。

 駅を越えた通り沿いにある、成美のパン屋。

 その隣に建つ、今治タオルの小売店である。

 閉店した店のわき、パン屋との間にある狭い通り道に優花は佇み――

 二階の窓を見上げている。

 そこには明かりが灯っていて、彼女の両親がまだ起きていることを示していた。

 ここは優花の家だ。

 だが今は

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その瞬間、彼女の姿が異様なくらい儚く映った――「天使は奇跡を希う」048

港では、横一列につながれた小型ボートが波に合わせて揺れている。

 ボート同士がぶつからないよう挟まれた発泡スチロールの浮がそのたびに擦れ、きゅきゅ、きゅきゅ、と鳴った。

「海鳥みたいに聞こえるね」

 隣で星月さんがつぶやく。夜の海を背景に、ほんのり青白く浮かんだ丸い頰。

 自転車を押しながら、彼女と二人きりで夜道を歩いている。

 この時間がずっと続けばいいのに。本気でそう思った。

 ど

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「送る」とっさに口にしていた。言い訳だと自分の中で感じながら――「天使は奇跡を希う」047



 深夜になって、新刊を買っていないことを思い出した。

 それを自覚すると、今の気分を紛らわせる刺激がほしくなって、ぼくはすぐに家を出た。

 暗い道を自転車で走る。商店街の書店はとっくに閉まっているから、ファミマに向かう。人気作だからコンビニでも置いてるはずだ。今は少し遠回りしたい気分で、ちょうどいい。

 港は人影もなく、夜の海が持つ原始の怖さを浮標(ブイ)や建物の灯りがちかりちかりと和

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「え」 ぼくがつぶやいた直後、唇にやわらかなものが押しつけられた――「天使は奇跡を希う」046

神社の前に自転車をとめた。

 部活が終わったあと、ぼくは成美に誘われて三島神社に来た。

 自転車に鍵をかけ、成美が先に歩きだす。鳥居の前でこちらに向き、目で促してきた。

 ぼくも鍵をかけ、仕方なく急ぎめに追いつく。

 対になった狛犬の間を通り抜け、境内までの長い石段に差しかかる。

 今日は楽しみにしていたコミック新刊の発売日だから、神社に寄ったりはしたくなかった。

 そのことを伝えたに

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左耳にふれる彼女の声が、ぼくの体の中をふわりとさせる――「天使は奇跡を希う」045



『今治タオル工場探訪記』

『フジグラン、ミスドがやたら強い問題』

 ノートパソコンの画面に、記事のレイアウトが表示されている。

 ぼくたちは部室で新聞の編集作業をしていた。

「写真、このへんか?」

「そうね」

 いつものように成美と横並びになってソフトを操作していると、

「おおー……」

 うしろからのぞき込む星月さんがストレートに感嘆する。

「すごい、ほんとの新聞みたい!」

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すん、と鼻をすする音が聞こえた気がした――「天使は奇跡を希う」044

ぼくは、星月さんが近くにいないことに気づき、姿を探す。

 いた。

 ちょっと奥のところで、タオルができていくさまをぼうっとみつめていた。

 機械の動作を見張っている作業員さんの前を通り、そばへ行く。

「どうした」

「あ、うん……」

 彼女にしては珍しくあいまいな反応をした。

 そのまなざしは、編まれていくタオルから動かない。

「こういうふうに作られてるんだなって」

「なんかすごい

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「すげえな」 健吾がつぶやく――「天使は奇跡を希う」043

健吾の野球部の休みに合わせて、活動は毎週一度に決まった。

 次の週には、今治タオルを作っている工場見学に行った。

 記事の目的を説明すると、快く応じてくれた。

 大きな部屋で、ぶ厚い駆動音に包まれている。

 たくさんの工業機械が一定の早いリズムで動く響きは、大きな船の機関室(エンジンルーム)を連想させた。

 緑色のリノリウムの床にタオルの織機が何列も設置されている。各機の上には天井から扇

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健吾と成美の、まなざしが揺れる――「天使は奇跡を希う」042

聞かれた星月さんは、パンをくわえたまま目を見開く。

「忘れてた!」

「忘れんなよ」

 ツッコむと、彼女は笑いつつ残りのパンを押し込み、口をもこもこさせながら立ち上がる。

 それから数歩進み出て、あごを持ち上げるように空へ向き、肩の線を膨らませる。たたんでいた翼がしなやかに広がり――

 バサ、バサリッ。

 と、空気を地面にぶつけた。芝がなびき、ぼくたちの顔にも音と風が当たる。

「おお…

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天国、帰れそう? ――「天使は奇跡を希う」041



 そして、ミッション兼部活動が始まった。

「蓮(はす)って、めっちゃキモいな!」

「キモかった!」

 健吾と星月さんが共感している。

 月曜の放課後、ぼくたちは市民の森を訪れ、その一番の高台に向かっているところだった。

「キモいっていうか、グロい」

「モネの見方変わる勢いだよね」

 睡蓮の作者までディスりだした。

 まあたしかに、水面にびっしり集まった丸い葉は何か巨大化した微

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星月さんが、ごくりと息をのむ。――「天使は奇跡を希う」040

「何が?」

「みんな行ってないじゃない、そういうとこ」

「まあ、かもな」

「そうなのよ。だから行って、体験記みたいに書くのよ」

 なるほど。次の新聞か。

「『地元の人間が地元の観光地に行ってみた』みたいな」

「そうそう。読んだ人が地元を再発見して『今治(いまばり)いい』って思えるような」

「出た、地元ラブ」

 ぼくのいじりに、成美はただ真面目に困った表情を浮かべた。それでぼくも困っ

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