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独語教師の独り言 第3回 ― 二人の師

森 泉(ドイツ語教師)

西欧の風景に映し出された語学教師の心の風景、ことば、教育をめぐる私の独り言、4回にわたって思いつくままに語ります。

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語学の師には随分恵まれたと思う。ここでは、その中でも教師となる上で教わることの多かった二人の師について書いてみたい。

素晴らしき英語の授業

S先生には高校時代に英語を教わった。当時50代半ば(と私は思っていたが実際にはもう少し若かったのかもしれない)、律儀な方で始業ベルと同時に教室に入られ、終業ベルが鳴ると説明の途中でも次回持ち越しということで話を終えられた。授業の始めには前回の授業を踏まえた小テストが行われ、そのテストは翌朝には全て返却された。これだけ書くと、そういう先生はちょっと苦手だなぁと思われる方も多いと思う。

しかし、S先生の授業は格別であった。例えば、リーダーの授業はおおよそ次のような流れで進む:まず小テスト。次に今日の講読内容を先生が別の表現も交えて、より分かりやすい英語で話される。一区切り話すと、内容について英語で質問される(ただし回答自体は単語レベルで答えられるものであった)。ネイティヴ教員がいることも稀ではない現代の高校ではさして珍しくない授業風景かもしれないが、50年以上前、公立高校でこのような授業が行われていたことを、今でも驚きをもって思い出す。英語による質疑応答の後、ようやく本を使った授業になるのであった。

テキストの内容理解が得られたところで、先生は生徒に質問を求めるが、ここで質問が出ない場合は、先生が生徒に質問をする。例えば「なぜここにXという単語が使われているのか?」「なぜここは完了形になっているのか?」「このto不定詞句を文に変えるとどうなるか?」・・・等々。当然かもしれないが、これがまた「ああ、なぜその点を見過ごしていたのか!」と思うような良い質問ばかりなのだ。答えに窮した苦し紛れの回答を先生は笑いながら引き受けて、丁寧に説明される。このやり取りは圧巻であった。パラフレーズが多いことも授業の特徴であった。「良い例文を出せることが教師の役割」というようなことを先生が言われたことがあるが、単語の意味に関する質問に対し、先生の書かれる例文はいつも素晴らしかった。この先生の言葉は自分が教師になった後も肝に命じている。

深く言葉を学ぶには・・・

次は大学院時代にドイツ語学を教わったM先生について書こう。先生は戦前にドイツ留学を経験された方であったが、戦後、時代の状況からすぐには教職につけず企業の通訳などをされていたこともあり、ドイツ語のフィールドを広く生きてこられた方である。

この先生が演習の合間に、ドイツ語絡みの雑談をされるのだが、これが教師になる上でとてもためになった。曰く「学校で習うドイツ語は正しいけれども、蒸留水のようなもので実験室のドイツ語。皆さんが実際に触れるドイツ語はミネラルウォーターなのです。不純物が一杯入っているけれど、だから美味しいのです。」また曰く「ある言語の文法的知識は、その言語を具体的に知らなくとも理解できるというのは面白いことです。それは、例えば英語を全く知らない人でも、英語では名詞の単数形に-sを付けると複数形ができるという規則は理解できるということです」等々。

戦前の留学時代の話や、通訳時代のエピソードも我々のドイツ語世界を拡げてくれた。一つ披露すると、通訳時代に来日中のドイツ人ご夫妻をお世話した時のこと、旅先でご夫妻別行動の折ご夫君が突然亡くなってしまった。そのことをご夫人に何と伝えたものかと心を砕きつつも、一方でご夫君の遺体を前にドイツ語でどんな言葉をかけるのだろうか、不謹慎と思いつつも気になって仕方なかったという。ご夫人は「Ach, du musst allein sterben! (あなたを一人で死なせてしまって)」と言われたそうである。

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[著者紹介]
森 泉(もり いずみ)
ドイツ語教師歴30年以上。
カフェと万年筆を愛するアナログ派。座右の銘は「まずお茶を一杯」。
Leica倶楽部会員。慶応義塾大学名誉教授。
著書に『しっかり身につくドイツ語トレーニングブック』
『場面別ディアロークで身につけるドイツ語単語4000』(ベレ出版)


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