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#5/ DO IT OURSELVES①

ダンボールの旅と並行して、
強化ダンボールをもちいたワークショップを企画しています。
内容は、このダンボールの形式をみんなでそれぞれ再現しつつ応用してみましょうというものです。
第一部で設計のワークショップ(@zoom)を行い、普段自分が過ごす場所の広さや目的などに合わせて大きさやかたちを考えてもらいます。そして第二部は製作のワークショップ、設計したものを実際に作ってみましょう(剥がして丸めるだけ)というものです。

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↑ 設計WSの様子

ここでは、
このプロジェクトでみえてきた一つの意義について考えてみたいと思います。

ダンボールの片側を剥がして丸めるだけ、という単純なつくる行為の前後にはさらに広義のつくる行為が潜んでいます。それは、かたちや大きさを考えてみるという行為、(丸まった板という)単純な形態・形式に促されるように使い方を考えてみるという行為です。

これらのつくる行為における一連の流れは、多くの方が知っている通り「DIY」という言葉で形容することができます。「DO IT YOURSELF」、「自分でやろう」というものです。
つくる行為自体は太古の昔からあったとして、
現代的な「DIY」の出自を少しみてみます。それは第二次世界大戦後のイギリスにおいて破壊された街を自分たちの手で「復興」させるスローガンとして生まれたようです。
その後、そのムーブメントがヨーロッパ全土を経てアメリカに渡ります。本土にてほとんど戦災を受けなかったアメリカにおいて「レジャー・娯楽」という意味合いへと変化を遂げます。
そして、現在では全世界のあらゆる分野において「DIY精神」という考え方を垣間見ることができるようになっています。

切実な復興にはじまり、レジャー・娯楽という位置付けを経た「DIY」が現代のまさに今の地点においてどのようにして再び位置付けられるのでしょうか。


設計者がデザインに責任をもつように、
料理人が責任をもって料理をふるまうように、
つくることは「つくり手」がその「つくられたモノ」の存在を引き受けることともいえます。
「つくり手」と「つくられたモノ」の一体化。
それはモノに限らずコトでも同じことが言えると思います。
たとえばダンサー(つくり手)とダンス(つくられたコト)が一体化してその区別がつかないかのように。

そこに、社会空間における「わたし」の拡張という側面がみえてきます。
「わたし」と「わたしがつくったもの」が一体化し、「わたし」になる。
その「わたし」が他所(よそ)の「わたし」と近づき、すれ違い、時に重なり合う。
そのような、つくることによる「わたし」たちのコミュニケーション。
コミュニケーションとしての「DIY」。
そのようにして、社会がかたちづくられていく。

啓蒙的、ややもすると指図的なDO IT YOURSELFではなく、
宣言的かつ自己完結的なDO IT MYSELFでもない、
三人称的な曖昧な他者の領域を取り込んだ「DO IT OURSELVES」。


”モノをつくることによって「わたし」たちをかたちづくる。”
そんな、「つくること」のひとつの効能について考えてみました。

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