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アフリカの呪術体験

はじめに

私は幼い頃から、いわゆるオカルト好きで、日本テレビの木曜スペシャルは欠かさず見ている方でした。長じても、その傾向は残り、学生の頃にはネイティブアメリカンの呪術師を描いたカルロス・カスタネダの著作にハマったこともあります。その後、ザンビア共和国に青年海外協力隊員として派遣されたのですが、その際、ライアル・ワトソンの「アフリカの白い呪術師」など、アフリカの呪術に関する数冊の本を読みました。そして、ザンビアで呪術師と会うことを楽しみにしていたのですが、一度、意外な理由からその機会に恵まれました。その時の体験について、少し述べたいと思います。

ウイッチ・クラフト(Witch craft)

アフリカの呪術は、通常、英語ではウイッチ・クラフトと呼ばれ、呪術師を表す言葉はウィッチ・ドクターです。彼等は、呪術ばかりではなく、色々な薬草を調合して民間療法を施すヒーラーでもあるのです。現代では、呪術的な面を排除し、実証的な薬草による治療のみに特化したドクターもいて、彼等はハーバル・ドクターと呼ばれます。ただ、私がいた頃、1990年代のザンビアには、依然として呪術面を色濃く残したウィッチ・ドクターも健在でした。そうしたウィッチ・ドクターには、ヒーリングのような白魔術ばかりではなく、黒魔術、つまり、呪いを請け負う人々もいました。実は、当時のザンビアでウイッチ・クラフトという言葉は、ほぼ、呪いの意味で使われるほどでした。例えば、英語で話をしているとき、witchを動詞として「He witched you.」と言われたなら、「あいつは、お前に呪いをかけた」という意味になります。こんな具合に、ウィッチ・ドクターはヒーラーとして尊敬されるともに、呪いの請負人として恐れられる存在でした。

バイクの盗難

ある日、同じ協力隊員仲間の一人がバイクを盗まれ、仲間で考えた解決策は、ウィッチ・ドクターへ相談へ行くことでした。もちろん、日本人の私達がアフリカの呪術の力を文字通りに信じていた訳ではありません。でも、当時のザンビアでは、犯人に呪いをかけて、それが知れ渡ると、犯人は恐れから盗んだものを何処かに返すことが良くあったのです。そんな理由で、隊員仲間が集まり、なるべく目立つようにバイクを連ねて、ウィッチ・ドクターのところへ向かいました。

相談内容の審査

かなり長い時間、未舗装の道路を走ると、目的地であるウィッチ・ドクターのところへ到着しました。そこは、想像していたような、おどろおどろしい魔女の家ではなく、見晴らしのいいところにある、小ざっぱりとしたザンビアの田舎によくありそうな家でした。我々の相談は、家の中ではなく、庭で行われました。まず、バイクを盗まれた相談者がドクターに相談内容を話すと、小さな木の枝が渡されました。ドクターに促されて相談者がそれを手で揉むと、それをドクターは水の入った器に入れます。すると、木の枝はスッと沈みました。ドクターによると、相談内容に嘘があると枝は水に浮くので、今回の相談は本当とのことです。それが確認できたので、ドクターは相談に応じてくれました。

失せ物探しの呪術

次に、ドクターは亀の甲羅を持ってきて、地面におきました。そして、笛を吹き始めたと思うと、甲羅だけに見えた亀の手足がニョキニョキと出て、歩き始めました。亀は直線的に歩くと方向を変えて、また、直線的に歩きを繰り返して、ちょっとしたパターンを土の上に描きます。すると、ドクターは、そのパターンを読んで結果を教えてくれました。バイクは亀の歩行パターンが示す方向「カヤンビ」という村にあるとのことでした。我々の目的は犯人に呪いをかけてもらうことだったのですが、どうも、失せ物探しの呪術がされてしまいました。

カヤンビへの探索

呪いをかけて欲しい願いは良く伝わらず、仕方がないので、後日、カヤンビに数名の仲間で向かいました。未舗装の道路を1日がかりで走り、ようやく着いた村には、当然、ホテルなんかなく、村の長老に話を通して民家に止めていただくことになりました。電気も通らない村での生活を垣間見ることができて、それだけでも貴重な体験でした。特に、そんな場所にも立派な教会があって、夜はランプの炎に映えて、そびえ立つ姿は印象的でした。まあ、残念ながらバイクを探し当てることは、かないませんでした。

まとめ

この文書を読んでいただいた人の中には、超常現象が現れることを期待していた方がいらっしゃるかも知れません。そうした方には、私の体験談は物足りないことでしょう。でも、超常現象というには、あまりにも日常的に呪術が存在するのが、20世期末のアフリカでした。それは、現代の日本人も縁起を担いだり、風水を気にしたり、パワーストーンを求めることと、あまり違いはありません。それでも、いかにもアフリカ的な呪術の実際を目にしたのは、上記の一回限りで、自分にとっては貴重な体験です。読んでいただいた皆さんに、当時のアフリカの息遣いが少しでも伝わったならば、幸いです。

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