「反日」って何?

 そもそも、「反日」ってなんなんでしょう。

 「反政府」であれば、時の政権の活動に反対するなり、時の政権の打破を目論む人またはその思想だと理解できます。しかし、「日本」のような「国」それ自体は特定の活動をしません。また、時の政権が打倒されようとも、「日本」のような「国」は、そこにあり続けます。「国」自体の消滅を目論む人たちがいればその人たちは「反日」なのかもしれませんが、「反日」とレッテル貼りされている人たちはそのようなことを望んでいないようです。

 現在における「反日」という言葉の用例として最も一般的なものは、日本の歴史の中の特定の時期(大日本帝国憲法が施行されている時期。とりわけ昭和初期)の、政府、とりわけ軍隊等の活動について、その負の側面に言及する人々を貶めるために用いられるというものです。同じ負の側面であっても、例えば織田信長の比叡山焼き討ちや、北条時宗による蒙古からの使者の斬殺などに言及しても、通常「反日」とのレッテルは貼られません。また、日本におけるハンセン氏病罹患者に対する政府レベルでの人権侵害に言及しても、「反日」とのレッテルは貼られません。また、昭和初期の負の歴史であっても、例えば五私鉄疑獄事件など、軍隊等が絡まない問題について取り上げても、「反日」とのレッテルは貼られません。

 しかし、大日本帝国の軍隊等についての評価って、「日本」という国自体についての評価ではありませんし、まして、日本国憲法の下で現代を生きる私たちについての評価ではありません。多くの国や社会においては軍隊が暴走したり、時刻や他国の人々の人権を蹂躙した歴史があり、その場合、非難されるのは、その当時の軍部や政治指導者であって、「国」それ自体ではありません。したがって、大日本帝国の軍隊等に関する負の側面に言及したって、それは「日本」という国を消滅させようというものでも、貶めようというものでもありませんし、現代に生きる私たちが貶められたと憤るに値しないものです。そういう発言を「反日」と考える人たちは、大日本帝国の軍隊に高いシンパシーを有しているのでしょうが、それはごく一部の方々の趣味のレベルの話です。

 さらにいえば、政府(軍隊を含む。)に関する負の歴史に言及することを国内的に封じ込めても、その国の国際的評価が高まることはありません。むしろ、そのような封じ込めがなされるということが、その国の国際評価を貶めることにつながります。そのことは、天安門事件という負の歴史についての中国国内での言及を中国政府が封じ込めようとしていることが、中国の国際的評価を高めているか否かをみればわかることです。

 そして、自国の負の歴史を正面から認め、反省の意を示すことは、現代においては、むしろその国民の成熟を示すものとして、その国の対外的評価を高める方向に働きます。例えば、真珠湾攻撃直後米国政府が日系人を強制収容所に隔離したことについて米国政府は謝罪し、一定の補償をすることとしましたが、それは米国の国際的評価、とりわけ日本からの評価を高めることにつながっています。

 したがって、大日本帝国時代の軍隊等に関する負の側面に言及する行為を「反日」とレッテル貼りするのは、正しくない所業であると言えます。

 

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