くすぶっている40代の方々へ 「やりたいことをやる人生」を考えてみませんか
今回からはテーマをガラッと変えてお送りします。
テーマは「くすぶっている40代よ、さぁ立ち上がれ」。
私はたまに講演をする機会をいただくのですが、質問タイムでよく出るのが「どうすれば、河西さんのようにやりたいことが見つかりますか?」。20代・30代に多い質問ですが、40代からも同様の質問をいただきます。この全世代に渡る「やりたいコト探し」の悩みのループをサブテーマに書き綴っていきます。
パーソル総合研究所がミドル層に行った自身のキャリアに関する意識調査によりますと、自分自身の「キャリアの終わり」を意識する転換点は45.5歳だそうです。45歳なんて、まだまだ挑戦できる年齢なのに非常にもったいないと感じました。私は40代の頃、鮮魚通販事業を拡大するべくいろんな挑戦をしました。成功も失敗もありましたが、必死で40代を駆け抜けたと思っています。
いま40代を迎える働き盛りの皆さんに、後悔なく40代を駆け抜けることができるようなメッセージを打ち出せたらと思い、上記のテーマを作りました。
序章
小学校の卒業文集。あなたは将来の夢を何と書きましたか?
プロ野球選手?
警察官?
パイロット?
実はこれ、今から35年前の1989年(平成元年)の小学生男子が答えた「将来就きたい職業」ランキングの上位なんです。プロ野球選手は堂々の1位、警察官が4位、パイロットが5位でした。
調査を行った学研によりますと、「1989年頃の日本経済は好調で12月の日経平均株価は当時の市場最高値を更新。いわゆる“バブル経済”だった日本ではビジネススーツに身を包んだサラリーマンの姿がトレンディドラマでも多く取り上げられ、小学生男子にとって“憧れ”の対象(この年、サラリーマンは2位でした)として映っていたのかもしれません」と分析しています。
この頃小学生だった世代はいま、40代に差しかかりました。その間に日本では様々な出来事がありました。バブル崩壊、「失われた30年」の始まり、平成の終わり、令和時代になった40代男子はいま、どのような人生設計をしているのでしょうか?
小学生の頃になりたかった職業に就くことができるのは、ごくわずかです。実は私もプロ野球選手になりたかったひとり。これは諦めたというより、中学・高校・大学と進むにつれて多くの人に出会い、様々な出来事を経験してやりたいことや夢が変わっていくからです。これはごく自然なことと言えるでしょう。
しかし、社会に出てから大人の多くは「やりたいことが見つからない」「やりたいことをする時間が作れない」「人生こんなはずじゃなかった」と悩みや不安を抱えています。平日は仕事に忙殺され、土日は身体を休めることで精いっぱい。月曜日になればまた同じ日々の繰り返し…
かくいう私も、大学を卒業して就いた仕事は住宅メーカーの営業マンでした。ディスプレイ業界への就職を希望していましたが、バブル崩壊の煽りを受けて新卒採用が冬の時代だった影響で希望の業界に就けませんでした。
ただ、そこで何かを諦めるということはせず、ただひたすらに、がむしゃらに、与えられた役割を果たそうと必死になって仕事に食らいつきました。その結果、新人時代からの憧れだったトップセールスマンのポジションに数年でたどり着くことができました。
住宅業界で実力をつけてから、ディスプレイ業界に転職するつもりでしたが、住宅業界の仕事の方にやりがいを感じてしまいました。目の前の仕事に集中していたら、いつの間にか「やりたい仕事(天職)」になっていたという人は意外にも多いです。
それから10年余り、私は32歳のときに「漁師」という新たにやりたい仕事とめぐり逢い、「トップセールスマン・年収1000万円」のポジションを捨てて大阪から鳥取に移住しました。
漁師への転身は周囲から猛反対されました。そりゃあそうですよね。でも私は「ここでやらないと一生後悔する」と懸命に彼女や親を説得しました。もし、漁師になることに反対する周囲の声を聞いていたとしたら、後悔したまま人生を過ごしていたに違いありません。年老いた自分がおじいちゃんになって、孫にさみしく縁側で昔のことを語っている映像が頭の中に浮かびました。
「あのとき、おじいちゃんが漁師になっていたら人生が変わっていたかもしれんなー」
そのときの寂しそうな自分の表情が頭から離れなくなりました。そんな未来で起こる絶望感が、トップセールスマンの世界からの脱出を後押ししたんです。
とはいえ、漁師として独立した当初は貯金が底をつき、新船建造した船を手放す所まで追い込まれるほど苦労しましたが、鮮魚通販という仕組みを作り出してからは徐々に軌道に乗り、「鮮魚通販と言えば弁慶丸」と言われるまでに応援されるようになりました。
もし漁師を選んで長く続かなかったとしても、後悔はしなかったでしょう。自分で選んで決めた人生だからつまずいても納得ができるんです。また立ち上がり、次に進めば良いだけのことです。
世の中にはつまずきたくない、失敗したくないという人がたくさんいます。安定した仕事を失ってまで、家族に心配をかけてまで、この状態がある程度幸せだったら、それでいいじゃないか。そんな考えを持っている人もいるでしょう。しかし、それはまだやりたいことが見つかっていない状態の裏返しと言えるでしょう。
40代を迎えた、あなたは自分のやりたいことはできていますか。私も漁師になってからいろんな方の相談に乗ってきました。
よくある相談が「●●をしたいと思っているけど、年齢的に難しいでしょうか?」
私も漁師になろうと決めた30代のときは年齢のことも考えました。「もし今より若い20代だったらいけるのかもしれない」と。いま50代の私も40代だったら新しい事業にチャレンジできるかな?」と考えて躊躇してしまう自分がいます。
「いや、もう40代なんだし、挑戦なんて無理だよ」と自ら可能性を閉じないでほしいんです。確かに生活があって家族があって、時間を取るのもままならないかもしれません。でも、一度きりの人生だし、もし本当にやりたいことがあって、そこに情熱があるのであれば家族や周囲を説得すればいいのではないでしょうか?
人生を終えるとき、最期に残す言葉として多いのが「もっとやりたいことをやっておけばよかった」だそうです。私も50歳を超えて、まだまだやりたいことを見つけようと試行錯誤しています。
やりたいことが本当に見つかったら、今いる環境からは脱出してもいいし、飛び込んでもいいんです。やりたいことが見つかる人生は本当に素晴らしいですし、それに向けてがむしゃらに頑張ることで人生もより豊かになっていくのだと思います。
漁師の世界に飛び込みはや20年近く、ちょっとだけ長く生きている経験を基にして、共に人生の後半戦を生き抜いていく40代に向けたメッセージを綴っていきます。
【1章】人生の優先順位は自分が一番
自分の気持ちを押し殺して嘘をついてはいけない
自分の人生の優先順位は誰にあるのでしょうか。家族がいる方は「そりゃあ子どもが一番だよ」と答える人も多いでしょう。ある一定の時期はそれでもいいと思いますが、もし子どもが大きくなって子育てが終わったとき、あなたの人生の優先順位はどうなるでしょうか?
あなたは子どもの人生を生きることはできません。遠くから見守ることはできても、子どもの人生の主人公は子供自身です。あなたの人生はあなたが主人公です。なので、本人が生き切ることしかできません。子どもたちが巣立った時、あなたの人生はなんのためにあるのでしょうか。
私は基本的に自分の気持ちを押し殺すことができない性格です。自分にウソがつけません。せっかく生まれてきた自分の人生なのだから、目いっぱい自分の人生を楽しもうと決めています。漁師になると決めたときも、自分の気持ちを貫き通しました。
自分を押し殺してしまうと、不完全燃焼状態になります。住宅メーカーの営業マン時代、本来ならもっと契約が取れるのに契約数をセーブしなければならない状況になったときは、不完全燃焼の日々でした。
こうした生活を送っていると自己肯定感がどんどん下がっていきます。自分をごまかし、自分の心の声に耳を傾けることなく自分自身に嘘をつき続けて働いていました。住宅営業と言う仕事がようやく自分がやりたい好きな仕事(ライクワーク)になりつつあったのですが、気付けば、生活の糧を得るためだけの仕事(ライスワーク)に成り下がっていたんです。
先日、地元の大阪に用事があって行ったのですが、街中ですれ違う多くのサラリーマンが腐った魚の目をして覇気がないことに驚きを隠せませんでした。きっと自分の気持ちを押し殺して働いて人生に疲れているんだろうなと。まるで過去の不完全燃焼の自分がたくさんいるかのような錯覚を覚えました。
過去の自分に似た亡霊たちをすり抜け、ようやく駅に着くと私の後輩だった営業マンとバッタリ再会しました。10年以上ぶりに会った彼を見たとき何か違和感を感じました。
「調子はどう?」
「なんとかやっています」
「元気なさそうやけど?」
「河西さんがまぶしく見えます」
彼の一言に、会社にしがみつき定年まで面倒をみてもらおうとする姿勢が見えました。もともと彼は優秀な営業マンだったんです。覇気があってギラギラしたものも持っていたのですが、会社に飼い慣らされ完全に牙が抜け落ちていました。「お前はもっと輝けるぞ」と勢い余って飛び出しそうになった励ましの言葉を慌てて呑み込みました。なぜならこの言葉は今の彼には響かないと感じ取ったからです。
これは私流に言えば「人生の手抜き」です。自分の人生を楽しんでいない。人生を楽しむには手抜きをしてはいけないんです。手抜きをすれば成長も止まりますし、生きる意味すら分からなくなってきます。
会社員である事自体がリスクになりつつある時代なのに…
組織人である後輩を見て、会社員というポジションである事がリスクになりつつある。そんな時代を迎えているのではないでしょうか。
弁慶丸では鳥取県が打ち出している副業プロジェクト「週1副社長」を使い、数人の外部アドバイザーを起用しています。いずれも優秀な方々ですが、募集をしたときには多くの人を面接しました。
その中には上場企業や外資系企業などの会社名や肩書や経歴が素晴らしい人もたくさんいました。しかし、いざ面接をしてみると、全く話が噛み合わない。ポイントがずれているんです。「あなたは弁慶丸でどんな貢献、活躍が出来ますか?」このシンプルな質問に答えられない人がほとんど。
「御社であれば自分自身が成長できるのではないかと思い応募しました」
「違うよ、逆ですよ。当社であなたが貢献、活躍できることを聞きたいのです。具体的な施策はありますか?」
採用面接で一番聞きたい質問までたどり着けないのです。
それでいてプライドが高く、自分が仕事ができると思い込んでいる、いわゆる「サラリーマン病」にかかっているんです。会社や組織の言いなりで、何一つ意思決定をせずに仕事をしてきた事が見えてきます。お客様の顔色を見ずに、上司の顔色だけを見て仕事をしてきた典型的なパターン。履歴書や略歴を見た上でいろいろと質問を重ねていくのですが、言い訳や自己防衛に入ってしまって、転職どころか、副業すらままならない。人生100年時代に備えたい気持ちはわかりますが、会社にしがみつかなければならない理由がよくわかりました。転職して活躍出来る人は、以前勤めていた会社や組織でも活躍していた人です。結果を出して、引き留めやもったいないと言われながら、会社を去る人でないと100年時代に生き残ることは出来ません。
人が変わるためには自分の非を認める素直さが大切。
面接時のこうした言い訳や自己防衛は、まさに成長の阻害要因といえます。質問に対して素直に受け答えをしてくれれば「仕事のやり取りはスムーズに行きそうだな。一緒に仕事が出来るかも」と、第1段階はクリアーできるのに。
とはいえ、人は簡単には変わることが出来ません。年齢を重ねて実績もプライドも持ってしまうと、なかなか素直に非を受け入れることができない。人が変わるためには自分の非を素直に受け入れないといけません。これはとても辛いことです。年を重ねると、誰かに何かを指摘されることも少なくなりますし、プライドも傷つくでしょう。
でも、どんな状況でも自分の非を認める素直さを持ったほうがいいです。それが成長のきっかけになりますし、40代だからこそ、このマインドは持っていたほうがいいでしょう。わからない事や知らない事を部下や後輩に素直に聞き、教えを乞うぐらいの度量がなければ成長しません。会社のせい、人のせいにすると、成長はできないのです。
どんな状況でも「まず自分を満たす」
「シャンパンタワーの法則」という言葉があります。タワーの1番上を自分、2段目を身近な人や家族、3段目を友人や知り合い、4段目を社会と見立てます。そして、自分はどこからシャンパン、つまりエネルギーを注いでいるかを考えるんです。シャンパンタワー完成のためには最上段のグラス「自分自身」を満たす必要があります。自分を犠牲にして、2段目や3段目から注いでもシャンパンタワーは完成しません。どんな状況でもまずは自分を満たす必要があるのです。
結果を出すためには、まずは自分自身を満たすことを心がけてみてください。
やりたいことはどんどん変わっていってもいいんです。自分の気持ちが変わることもあるでしょうし、環境変化などによって変わることもあるでしょう。それでいいんです。心が赴くままに、心が動くままに人生を謳歌すれば良いのです。
「石の上にも三年」という諺がありますが、心が動かなければ3年もとどまる必要はありません。「石の上にも三週間」くらいの気持ちで、カジュアルにいけばいいんです。
自分の心が動かなければ、説得したい人の心は動かせません。例えば「くすぶっている自分を変えたいんだ」と家族を説得したいなら、自分の心が動いた情熱の熱量によって説得の成功率も変わってきます。
とにかく自分に正直に、ナルシストやエゴイストと呼ばれても自分の人生を全うする。自分を幸せに出来るのは唯一、自分だけ。自分の人生を謳歌出来るのも唯一、自分だけ。家族でも友人でもなく、憧れの人でも神様でもあなたを幸せにすることは出来ません。
それがやりたいことをやる人生なんですから。
長文を読んでいただき、ありがとうございました!!