後悔は本当に先に立たない【脱サラ船酔い漁師 漁師になるまでの決断】
今回は、漁業体験後、漁師への想いが次第に高まっていく様子を綴っています。振り返ってみると、色々な点と点が結びつき、一本の線となり、漁師への道へとつながった様な気がします。
漁師になるにあたり、色々な壁が目の前に立ちふさがりましたが、不思議と目の前の壁が崩れていき、導かれる様に道が開けていきました。強引に漁師への道を切り開いた部分もありますが、いずれにしても漁師への第一歩を踏み出せた事により、人生で後悔したであろう項目が一つ消せた事が何より良かったです。
日に日につのる海への想い
「もし、本気で漁師になる気があるのなら、来年4月から研修を開始する事が出来ます。ご連絡ください」
漁業体験最終日の懇親会で、水産課職員の方からの最後の言葉。この言葉が頭から離れず、仕事が全く手に付かない。頭の中では、銀色に光る魚たちがピチピチと飛び跳ね続けている。
鳥取県の漁業者育成制度は、海上での実体験研修から新規着業するための船の助成制度まで、体制がきっちりと整っていた。(正確には、整っているように思えた。後々、様々な問題が勃発する)
漁業体験後、関西近圏にも同様の制度が無いか探してみたものの、「組合員資格取得に1000万円ほど出資して下さい!」「世襲制度のようなものだから、よそから来られる人はねぇ~」など、ほとんどが門前払いの状態だった。
断られれば断られるほど、燃えるのが営業マン根性。完全に火が付いてしまい、情報収集をする日々が始まった。
しかし、さすがに閉ざされた漁師社会。インターネットを介しても、有力な情報が集まらなかった。やはり、漁業という世界は閉ざされた閉鎖社会なんだと実感させられる。今、開かれている鳥取県の扉も、このチャンスを逃すと二度と開かれない扉になる可能性があると思い、焦りを感じ始めていた。
揺れ動く気持ちの中で、大自然相手に生身の身体ひとつで立ち向かう漁師たちと比べ、契約数をセーブしながら惰性で生きている自分にどうしても嫌気を感じてしまうのだ。
「俺はいつからこんな冷めた男になってしまったのだろう?」
「日本海が俺を呼んでいる」
「俺には漁師しかないんだ!」
がむしゃらに生きてみたくなった。
この気持ちを母親に打ち明けた。しかし、「いったい、なんの為に高いお金を支払って大学まで出したんや!」「ようやくまともな社会人になって、会社から表彰状まで頂ける人間に成長したと思とったらコレか!」と言われる始末。
小学3年の時に両親が離婚し、母親ひとりで育ててくれた状況を考えれば、言われても反論のしようがない。正直、まじめな優等生ではなかったので、母親には多大な苦労と迷惑をかけてきたのも事実だ。
いろいろな人に自分の夢を語ったが、まだ語ってない大切な人がいた。お付き合いしている彼女である。彼女さえ口説ければ誰に何と言われようとも、堂々と鳥取に行くことができる。というか、結婚を考えているのだから、彼女の了承がないと、この先の自分の人生が進まないのだ。
「これはもう、プロポーズするしかないな…」
営業では鉄板の口説き文句をいくつも持っているが、人生の岐路をとなる口説き文句は持っていない。そんなわけで、僕は仕事以上に真剣に、プロポーズの言葉を考えた。
ある日のデートで、僕は彼女にこんな言葉を投げかけた。
「俺、漁師になる為の研修を鳥取で受けようと思ってんねんけど、一緒に来るか?」
練りに練ったプロポーズの言葉。いろいろな言葉が浮かんだが、ここは気持ちを込めてシンプルイズベストでストレートにいくことにしたのだ。これは決まった。もう完璧である。可愛い子鹿のような彼女も笑顔で「うん!」と言ってくれるだろう。言葉を投げた後の0.7秒くらいでこんなことを考えた。
ところが、だ。可愛い子鹿ちゃんの顔はライオンに豹変した。
「はぁ~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???なんの為に????」
1.2秒後、頭の中が真っ白になった。なぜだ?なぜなんだ?何がいけなかったんだ?これでも口説く文句を作る事に関しては営業で培ったスキルがあるので自信があった。やはり営業とプロポーズは違うのか…。
しばらくの間、彼女はまともに口をきいてくれなかった。相当デリカシーがない人だと思っているのだろう。彼女の機嫌が直るのは数日経った後だったが、唐突にこんな質問を投げかけてきた。
彼女「なんで突然、漁師なの?」
僕「漁師になる、ならないは置いておいて、研修だけでも受けてみたいねん」
彼女「体験だけじゃダメなの?」「仕事辞めないと研修には参加出来ないの?」
僕「今やらないと俺一生後悔すると思うねん。棺桶に足を突っ込みながら『あの時、鳥取で研修受けていたら俺の人生変わったかもな~』なんて思いたくないねん』
彼女「あなたは誰よりも住宅営業の仕事好きやん」
僕「確かに嫌いな仕事ではないし、自分には合っているとも思う」「でも何かが違うねん」「自分が本当に作りたい家造りとはズレがある」
彼女「じゃあ、他の住宅メーカーや設計事務所なんかはどう?」
永遠に交じり合う事のない会話が果てしなく続く。トップセールの話術をもってしても、口説き落とせる状況ではないのは明らか。
「とりあえず一度、鳥取に行ってみよう」と彼女を誘うのが精一杯。自分がこの目で見て感動した大自然や不便ではない鳥取での暮らしを一度でも見てほしかった。彼女は、他の住宅メーカーや設計事務所に履歴書を送るという条件付きで、鳥取視察を許可した。
まさかの「漁師になるのはやめたほうがいい」
皆さんは「鳥取県」にどんなイメージを描くだろうか。関西圏に住んでいた僕でも「鳥取砂丘」と「梨」のイメージしかなく、鳥取県に対して海や魚のイメージがみじんもなかった。しかし、インターネットで調べていくうちに、日本でも有数の漁業が盛んな地域だと知った。
彼女を口説くのが目的となった2度目の鳥取訪問。体験でお世話になった漁師さんや県の水産課の職員さんたちに事前に連絡し、アポイントを取った。「結婚を真剣に考えている彼女を連れていくので、あまりきつい事は言わないで」と根回しもバッチリである。
まずは彼女のご機嫌取りのため、「鳥取砂丘」「三朝温泉」などを観光。「自然に囲まれて、いい所ね~」との声に、心の中で小さなガッツポーズ。気分もほぐれた状態で、待ち合わせ場所である鳥取県漁協に向かった。
ここで水産課の職員さん、漁協の参事さん、体験でお世話になった漁師さんを交えての話し合い。漁業研修制度や定住する条件など事務手続き的な話が中心となった。
話の所々で、「この都会のお嬢さんが漁師の嫁としてやっていけるだろうか?」的な厳しい質問や視線を察知し、何とかブロックし続けた。「最終的には、本人たちの気持ち次第なので、よく考えて決めて下さい」という事で、打ち合わせは終了した。
打ち合わせも終わり帰ろうとしたころ、水産課の職員さんが周りに誰もいない事を確認しながら、言いにくそうに話し出した。
「河西さんは立派な大学も出てちゃんとした仕事もされているので、もう一度考え直していただいた方がいいと思います」「行政の立場から言うと非常に有難い申し出なのですが、個人的な立場から言うと漁師になる事をやめておかれた方がいいと思います」
僕は思わず「エッ!?だってもともと鳥取県が募集したんですよね?」と聞き返してしまった。
思わぬ水産課職員さんの反対に正直驚いたが、「これから結婚して、子供を育てられる現状ではない」と、僕のためを思って、本来言ってはいけない心の声を言ってくれたのだ。別れ際に手渡された極秘資料には、鳥取県の水産業のデータや漁家経営のデータなどが入っていた。漁業の置かれている厳しい現状を知ったのだ。
職員さんは続けて、「どうしても漁師になりたいのでしたら、安定収入が得られる沖合底曳き船の船員になることから始めてみては?」と言ってくれた。
僕は人に雇われる沖合漁業・遠洋漁業には興味がなく、日帰り操業で個人経営できる沿岸漁業に魅力を感じていた。
鳥取の人は僕を快く受け入れてくれると思っていたのに…。帰りの車中、彼女が満面の笑みで「漁師になるのは簡単そうじゃないね♪」と言ったことで、秋の紅葉で色ずく窓の景色を眺めながら、奈落の底に落とされた気分になっていた。
鳥取移住計画は暗礁に乗り上げ始めた。
後悔は本当に先に立たない
年末、緊急会議が招集された。年の瀬の忙しい時期に、「何事だろう?」と思いながら営業所に向かうと、ある通達が下った。
「この度、親会社の資本が変わり、4月1日から社名が変わる」
「リストラ等はない予定で、引き続き頑張ってくれたまえ、以上」
もう現場は騒然、パニック状態。通達文章を読み上げている営業所長も、今朝、知らされたという。
「あさって契約するお客さまになんて説明すれば…」
「着工中のお客さまに、契約内容と違うって言われたら…」
新聞などのメディアには、あす発表されるらしいが、子会社出向の役員のお偉い方々は、すでに自分たちの籍を親会社に戻すという周到振りだった。当時の大阪支社長に何度、電話するも留守番電話。
「この子会社で骨をうずめる覚悟」「親会社も子会社も関係ない」「同じ釜の飯を食う同志」「共にこの会社を改革しよう」頭の中で、沸騰する言葉たちが次から次へと沸いて出てくる。
人を物の様に扱う理不尽なやり方が腹立たしかった。「結局、守るのは、自分たちだけかよ」「俺たちは売られたんだ」との声がどこからとなく聞こえてきた。自分の力だけでは、どうしようもない大きな力が働いていて、大きな波に呑みこまれそうな感覚だった。
「俺たちは都合のいい将棋の駒じゃねーぞ!」と吐き捨て、その場を後にした。所詮、歯車のひとつでしかない自分自身の存在がちっぽけに感じずにはいられなかった。
携帯電話には、同期や先輩社員の方々から着信がひっきりなしに鳴り続けていたが、出る気にはなれなかった。僕は湾岸線の高速道路を意味もなく何往復もして走り続けていた。
一つの会社で勤め上げるのが良いとされる社会の価値観が少しずつ崩れ始めていた時期だったが、サラリーマンが安定した職業ではないという事を身を持って感じた。
上司であるGさんにも相談した。すると、「お前の中で答えはもう決まってるんやろ。お前の生きたいように生きてみろや」。さすがGさんだ。僕の心の中はすべてお見通しだ。この時、僕の心の中で何かが「パチン」と弾けた。
全ての迷いが吹っ切れた瞬間だった。「あの時やっておけば良かったなぁ~」という人生はまっぴらごめんだ。「人生に近道はない」「人生に失望はない」「人生はまったなしだ!」という姿勢で、周囲を説得していくことにした。
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食べられない深海魚のみを入れた「ヘンテコ深海魚便」のアイデアは素晴らしいと思います。
青山さんのように新しい視点で漁業を捉え直す事が必要不可欠な時代になっています。今までの従来のやり方では、通用しなかったり、立ち行かなかったりするのであれば色々試行錯誤し、自由に方向展開してもいいんじゃないのかと感じます。
漁業に携わる人々は、もっと発想を広げて、もがけばいいのに!と個人的には思います。青山さんのように、外から新鮮な風を送り込んでくれる人が、いつかうちの港にも現れないだろうかと期待して待っていても、現れてはくれません。
私もかつては期待して待っていた一人でした。漁業に携わる人々は自らの手で小さな改革をおススメします。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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