『大西洋も超えて』/イントロダクション

フランスドラマ評をやってみようと思う。ドラマ評というのは、批評のジャンルとしては小規模なものだろう。上位互換として映画評があるだろうが、都合の悪いことに、私はドラマ評も映画評も読まない。だから映画評・ドラマ評というものが普通どういうものなのか知らない。そして音楽評も絵画評もファッション評も読まずに生きてきた。そういう方向に知的好奇心が向かないまま育ってしまった。

だが、せっかくフランスドラマを観ているんだから、やってみようという気になった。フランスドラマを観る理由は、第一には暇つぶし、第二にはフランス語・フランス文化学習だ。暇が潰せて語学が鍛えられる。非常にオトクである。さらに日刊弁慶のネタになるんだったら、一石三鳥というものである。

フランスドラマを日本で観ている人口はどれくらいいるだろうか?私は一人も出会ったことがない。何の根拠もないどんぶり勘定をするとすれば、そうだなぁ、韓ドラ視聴者の1000分の1くらいだと思う。その原因は文化の馴染みなさにある。

たとえば韓国の文化は日本に非常に近い。韓ドラを観ていて、奇妙に思われる常識や価値観に出会うことはあまりない。家族政治の影響力は日本より強いだろうが、日本の家族においても何らかの力関係に巻き込まれることはそれほど珍しくないだろう。韓ドラを観ていて唯一違和感を感じたのは、チャミスル(韓国の酒)を横を向いて飲むことだ。だがそれは瑣末なジェスチュアの違いでしかない。

「海外ドラマ」のファンを自称する人は少なくないが(多くもないが)、そのほとんどは厳密には英語圏(主に英米)のドラマのファンだ。ところでわれわれは黒船来航以来、英米の文化と交流し続けており、もっと言えば——中立的な意味で、と補足しておくが——侵略され続けている。ややマイルドな表現にするならば、英語圏の文化には非常に慣れており、馴染んでいるのである。

フランス文化はどうか。たとえばわれわれは「アメリカ人っぽい身振り」のイメージは持っているが、「フランス人っぽい身振り」は想像しづらいのではないだろうか。このイメージというのは、あるいは「偏見だ」と非難されるかもしれないが、しかしフランスの文化に対する具体的な偏見すら乏しいのである。無駄に大きい皿に、無駄に小さい料理と、もはや食べることを想定されていないソースが散りばめられた料理が食されているらしい、程度が関の山だ。やたらタバコを吸う、というイメージを持っていたら御の字である。(ちなみに喫煙者率は先進国では最高。)

日本から地理的にも文化的にも遠いフランス文化を伝えようと目論んでこの連載を開始するのではない。私もフランス文化に特段明るいわけではない。フランスへのリテラシーは平均を少し上回る程度だろう。これはあくまで、<単なるドラマ評>だ。対象をフランス製のものに限っているだけである。前述のとおり、私はドラマ評を知らない。だから、<単なるドラマ評>にすらならないかもしれない。判断は読者諸氏にお任せすることにしよう。

これにて長い前書きを閉じる。

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