おわりに、あるいはひょっとして、はじめに

修論日記として始めたこの連載でしたが、1月末の締切日を区切りとして一旦終了です。読んでくれていたみなさん、ありがとうございました。哲学の論文を書くのは非常に孤独な作業でしたが、この場で日々の努力を見てもらえていたのが救いになりました。おかげさまで、特に最後の一ヶ月は人生で一番頑張った時間になりました。いい論文が書けたのかは分かりませんが、僕ができることは全てやりきった。リアクションをくれた皆さん、静かに見守ってくれていた皆さん、ありがとうございました。

上手く進学できれば僕の研究は続きます。進学できなければ、それまでの才能だったということです。いずれにせよ、僕の人生は続きます。研究だけが僕の人生ではない。目が覚めたらまた新しい一日が——どんな一日であれ——始まります。日々の些細な出来事に思いを巡らす形式として、日記というのは非常に有効でした。毎日どんな小さなことであれ、書くべきことはあるのです。僕は自分が音楽家として生きていくのだと考えていた時期がありました。研究者として生きていくのだと考えることは、今でも少しはあります。でも、音楽家でなければ、研究者でなければ、僕は生きていけないとは思いません(かつてはそう考えていました)。毎日の目の前のことが、生きていく理由になるのだということに気づけたからです。日記を書いていて良かった。

なんとなくセンチメンタルなトーンになってしまいましたが、まあ、大したことではありません。普通に生きていけるという自信がついただけです。普通に生きていくということを苦痛に思わなくなっただけです。人生は派手に彩らなきゃいけない、という誤解が解けただけです。僕が人生で作り上げた物の中で一番壮大な物となった修士論文を作る過程は、地味な作業の積み重ねでしかありませんでした。地味でいいんです。僕はきっとそれでもどこかに向かっているんです。

そういうわけで、僕はこれからも何か文章のようなものを書いていくでしょう。日記という形式ではないかもしれないけれど(あるいは日記が続くのかもしれないけれど)、また新しい何かを、読んでいただけると嬉しいです。

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