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訪問看護師さんはクレバーな人だった。  親父がちょっとうらやましかった、妙齢の女性にお尻を晒し、医療行為とは言え、面倒を看て貰える。
不埒なのは承知だけど、良いなぁと想う ゲスだけど(笑)

僕からの報告、質問もテキパキこなし、来る度に、親父に優しく声をかけ、ボケ老人ともコミュニケーションを巧みにとれる会話術を持っているプロ中のプロだった。

とりあえず、摘便問題は解決したけど、便秘が治ったわけじゃない。イージーファイバーも必ず使い、あれこれメニューも工夫、水分も2Lのポットにお茶を置いておき、おしゃべりをしながら、飲む。烏龍茶にジャスミン茶、抹茶を点てることも、コーヒー紅茶 英国式のお茶会もした。 でも解消しない。 僕が物音に気づいて起きるのが遅れると、また、トースト裸エプロン攻撃を受けることに成るw

夜のお茶会、ミッドナイトティータイムだそうだ、洒落たことを言っているつもりの本人はドヤ顔 ほーら惚けてない(笑)

老いた父親の裸エプロンは何度見ても88㍉砲並にダメージがデカくて慣れることはなかった、あれ、絶対解っていて、嫌がらせだよ。

何度言い聞かせても、惚け関係なく、本人の性格がワガママだから我を通すのもあり、パンを喰う しまいにお茶会だから隠していた蜂蜜も塗るわジャムも喰うわ 錠前壊してひっぱりだすw。

トーストを置かないようにしたら、今度は味噌汁の具に置いてある、麩をトーストで焼いて発火させた(笑)

また、外出の度にパン屋に寄りたがる。

便秘対策では テーノー未熟大学で医師の木村くんがマグネシウムと浣腸を出してくれた、市販と違い倍の60CCなのだが、本格的な便秘に成ると、マグナム浣腸でも歯が立たない、タイガー戦車並の厚い装甲なのだ。

訪問看護師さんのケアが希望の綱だった。


9月までに6度入退院を繰り返した。栄養士だった母が停めるのも聞かず、 脂質を100%カットなんて、無茶をして糖尿病を発症し、その後、惨子、ノン子からストレスいっぱいのアテンドを受けていたものだから、親父の身体はボロボロだった。

だって、母が死んでから、店屋もの以外、碌なもの喰ってないんだもん(笑)

トン子と僕が介護に入るまで、ノン子の野菜ジュースにミックスベジタブル野菜スープと 惨子の お父さんが好きだからロールキャベツ 一日1つ、コンソメだけ、胡椒にんにく生姜 絶対使わないバージョン♪
それと 変な業者の療法食 一食700円 鮭1/3 劣化版 小学校の給食3階級下みたいなものばっかり。

栄養とれないわなw 楽しみもなくて、スペイン製の椅子に腰掛けてテレビばっかりだから床擦れだらけだったし。

最初に倒れていたのが心筋梗塞、次に誤嚥性肺炎、脳梗塞、誤嚥性肺炎 夜中のトーストを停められなかったのが、今は悔やまれる。

話は代わるけれど、僕も 病気を持っている。
遺伝性因子に拠るWPWと言う心臓病、心臓の電気信号伝導路が普通より多くて、心室と心房がノッキングを起こして、放置すると死に至るやつ。

遺伝因子は有るものの、主たる原因はストレスだ。

最初に発症したのは高校3年でマラソン大会前の心電図で発見されて、それまで銅メダルまで獲得していたのに、出場を禁止された。

次に発症して、手術で心臓を下ろしたのは、結婚してからの事。
配偶者は親に似た相手になると、良く言うが、僕の元嫁は、親父にそっくりのマウント魔、人を思い通りに動かそうとし、それを善意や夫婦関係に隠して本人自覚が無いタイプだった。

会社で親父、家庭で嫁にマウントされ、僕の心臓がノッキングを始めた。

入院したが、今のカテーテルに拠る簡易な治療法が確立する前で、胸骨を丸鋸で縦に切り、ジャッキで広げて心臓を身体から外すと言う、エンジンオーバーホールの末 完治となった。

心臓を下ろし、体重も十数キロ減、体力が無く、杖がなければ歩けない常態。

人の弱みを見つけると、嬉々として責めてくる、元嫁と親父(笑)

丁度、長女が出来た頃だったので、死んでやらないと覚悟を決めた(笑)


で、その頃から ずっと親父に言われ続けたのが、僕の身体が弱いのは、母方の遺伝だと。 都合の悪いことは 全部母方のせい、悪いのも母方w

確かに心臓が弱い兄弟は多かった。

母の兄と弟が毎晩の晩酌と深酒で糖尿になっていたから、僕も糖尿になると決めつけられ、この二人が癌で死んだものだから、母方の遺伝子は癌体質で僕は癌で死ぬと決められた(笑)

そんな事を僕に言ったものだから、自分は体重を減らして、糖尿病とは無縁だとアピールしたかったのだろうが、

どっこいw 半可な知識で無茶をするものだから、
自分は60前で糖尿病、
そこからレビー小体型認知症、
腹黒な娘達に孫を見せてあげると恩に着せられ、
銭を巻き上げられ、遺伝ではなく、不摂生と馬鹿娘達の食事に拠る、心筋梗塞、脳梗塞、腸炎。

「お父さん、穴2つってご存知ですか?」
聞いたら、今でも惚けたふりをするかも知れない(笑)

そして、死亡診断書には、大腸癌に拠る腸閉塞と書いてある。

「癌も来ちゃいましたね」

僕たちが引き受けた時は、そんなしょうもないポンコツの身体になっていて、何とかリペアを図ったのだが果たせず。

好調と不調を繰り返す。

惨子とノン子をシャットアウトしたから、ストレスが減って幻想の坊ややお嬢ちゃんは見なく成ったものの、機嫌が良いから食パンを喰うわ、チーズを喰うわ(笑)

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昼間、ジョナと一緒に散歩をし、一緒に膝曲げ、ウエスト回し等ストレッチをしても、不調の時はリズムがおかしいのか、1~2時間に一度は起きてくる。

キッチンに向かうだけじゃなくて、家の施設をあれこれ意図的に破壊する、ジョナを襲う(笑)

トイレじゃない所でトイレをする、それも見ていて、トイレじゃないと認識していてやる、大抵、トーストを阻止された時だから解りやすい。


元々、子供の頃から、僕が勉強をしているかチェックすると言って、夜中でも親父が襲ってきていたから、物音がすると目が覚める体質だったけど、住み込み介護で、それが戻っていた。

運動機能は落ちていない、歩くのもストレッチも出来る、リハビリ病院から療法士さんも来てくれていた。

ブランドの大好きな親父の事、僕らの頃の4番サード背番号3の元監督が通っていた病院で、回復効果は折り紙付きだと言ったら、辛いリハビリも必死にこなしていた。

すったもんだして、酷暑の夏を乗り切り、親父の数度の入院費だけでメルセデスの小さなクーペ新車分くらいが消えた(笑)

その頃、病院は新しい棟を建てていたから、個室なら即、入れてくれる感じだった(笑)


9月28日、ジョナが急死した。
朝飯を喰って、散歩につきあってから、ぐったりしているなと想っていた。

酷暑の戻りが来たのかと、あれこれしたのだが、ずっと息が浅く早かった。

13歳と6ヶ月、ラブラドールとしては平均的に寿命。 311の時は茨城に居て、地上40センチの所に鼻が有る犬は影響が有って、腹の辺りに癌の瘤も有った。

いつもなら がっつくのに夕食も喰わず、夜の8時に吐いた。胃液を吐き続け、救命救急獣医に電話したけど電話がつながらなかった。

娘達に見ていてもらい、親父を寝かしつけてから、僕も付き添った。

ときどき呻き、夢なのか走る脚をする、ぷふうっと息が抜け、呻く。

娘二人とずっと見続けていた。 23:53 一度手足をつっぱり、そのまま息絶えた。

次女が小学4年になり、学童で受け付けてもらえなくなって、留守番と用心の為に、サイトで埼玉から お迎えしたイエローラブラドール。
10年一緒に過ごすことが出来て、最後は僕の故郷へ連れて来られた。
最後は親父の介護まで手伝ってくれた。 僕の家族。
今は、小金井のお寺に今までの僕の家族と一緒に入っている。

合掌。


写真はジョナが茨城から我が家へ来る時のもの 浅草あたりで僕のジーパンに顎を乗せて 寝ちゃったんです。 今でも愛しい。


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