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過去記事が私を助けてくれた

3good 愚痴多め。

5/1

①玄関先までの家庭訪問。先生から「賢い」と褒められた長男。嬉しそうだった。私も嬉しい。

②長男の英語クラブ行き渋りは続く。こんなに行きたくないって言ってるのに行かせる意味ってなんだろう、と、ぐらつく自分。
教室になかなか入れず、今日もアシスタントの先生に同行してもらってなんとか入る。そして私もたくさん話を聞いてもらう。「本人よりも、お母さんががんばってると思う。」と言ってもらえて、なんか嬉しかった。そう、私がんばってる。
母親という生き物は、「がんばる」がデフォルトで、子どもががんばると褒められるのに、母親はがんばっても誰からも褒められない。特に子どものことに関しては「やって当たり前」。でもものすごくいろんなこと考えてるし、悩んでるし、めちゃくちゃ頭使って生きてるけど、そんな頭の中なんて誰にも見えないから、褒められもしない。なんなら「母親なんだから」の一言で終了。父親は家事育児やると「いい旦那さんだね〜」「いいパパだね〜」って言われるのに母親が言われないのなんで?仕事してるのに家事育児という「オプション」までやってくれて偉いねってこと?家事育児ってオプションなの?つーかその家事育児って「顕在的家事育児」で「潜在的家事育児」もあるって、世の男性のどれくらいがこの意味わかるだろう?
逆に母親が仕事して稼いでも「いいお母さんだね〜」なんて言われず、仕事よりも完璧な家事できる方が褒められる率高い。何品もおかず手作りとかおやつ手作りとか。その間子ども誰が見てるの?子どもの安全守るため、子どもの淋しさ満たすため、子どもと向き合う体力残すために家事捨てたら途端に「ダメ主婦」認定。子育て=無償の愛 なんて誰が決めたか知らんけど、多分子育てしたことないやつが言い始めたと思う。求む見返り。なんなら給料。子どものこと愛してるでしょってそりゃそうだけど、だから何もいりませんなんて一言も言ってない。求む給料。求む有給休暇。
という不満を抱えてるということに気が付けて言語化できただけでもだいぶマシ。
うちの子たちはHSP気質です。私もそうです。毎日フィジカルよりもメンタルでエネルギー消耗してます。そんな人間もいます。

③結局、自分の機嫌は自分で取るしかなくて、そんなわけで今日は朝からパン屋でパン買った。そしてなーんにもしなかった。明日はスタバに行ってやる。そのうちロイパで1人でモーニング食べる!絶対食べる!


#3good


と、昨夜書いてたようだ。
子どものことでメンタルなかなか行き詰まってまして、全てが上の空。
なんとなく答えはわかってるのに、「でもああかもしれない、こうかもしれない」「なんで他の子は楽しそうなのに、なんでうちだけ」挙句の果てに「なんで私ばっかりこんな目に」という思考に、最後はなる。

つらい。

↑今日は5/4。
これを書いて以来、いろんな人に相談したり、夫とちゃんと話し合って、1つずつ思考と感情を整理していった。 
夫に話せた、夫の考えを聞けたというのが一番大きくて、結局私は夫にわかってもらいたかった、共有してもらいたかったのだということを知った。

感情の嵐を乗り越えて、ちゃんとゴールデンウィーク楽しめるほどには落ち着いた。
でも、後々の記録のためにまんま残すことにした。

終わり。

長男の行き渋りが始まった頃の記録を探していて、見つけた過去記事。
当時私は3goodという投稿を毎日していた。
続けたら何か人生が変わるかもと期待していたけれど、特に大きな変化は訪れなかったから、そのうちSNS断捨離したのと共に辞めてしまった。

でも、記録は残しておくと、時々いいことがある。

この当時、私は本当に頭がクレイジーになっていて、五里霧中暗中模索で八方塞がりな日々で体がおかしくなるくらい参っていた。
それでも全然がんばってる気なんてしなくて、いや、ちがうな、がんばってるけどまだがんばれるような気がして、事態を好転させるためにどうにかしなきゃいけないと躍起になっていた。

今この記事を見返せば、さっさと手放してもなんとかなるし、なくなっても案外痛くも痒くもなく、また違う日常が始まるだけだしそれに慣れていくから大丈夫🙆🏻‍♀️と思う。


誰の役に立つでなし、誰に求められるでなし、と思ってモチベーション下がってやめてしまったけれど、短い記録でも、残しておくと過去の自分が現在の自分を助けてくれることがあるのだと知った。

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