19歳〜25歳まで6年間好きだった人がいた

19歳〜25歳まで6年間好きだった人がいた。本当に好きだった。生まれ変わったらあの人が飼ってる猫になりたいと本気で思っていた。

三ヶ月前、好きな人が結婚するとなり、わたしの映ったタイムラインの記事を全て消された。ついにこの時がきたか、と連絡をしなくなった。心の底から彼が幸せならいいと思っているし、わたしの存在が彼の幸せを脅かすくらいなら何の迷いもなく私は消える。三ヶ月も連絡をとらないのは初めてだったし、向こうから連絡がこないことも含めて「わたしも進もう」(=彼を諦めて誰かと普通に幸せになろう)と決めた。

出会い系アプリを使って、色んな男性と会った。わたしは進もうとしていたけど、周りから見たら自暴自棄の極みだったかもしれない。

※好きな人がくれたお菓子 美味しくなかったけど美味しかったよと言った

〈2018.6.17〉

愛していない男に告白されると分かっていた夜、世界で一番愛している男と勝手にお揃いにしたブレスレットを付けて会いに行った。それは意志だった。心を渡したくなかった。

人のことがよく分かるから、「この人はなんでもgoogleで調べちゃうんだろうな」って思った。だから、3回目のデートの今日、彼は付き合おうって言うんだろうな、って思ってた。わたしの大好きなドラマの中にいる憧れの女性が、「大人の選択なんて無いのにね バランスを考えて妥協する選択か、わがままに自分の意思を貫き通す選択か、それだけのことよ」、と話していた。わたしはいつも、後者を選んでいた。前者を選ぶのは初めてだった。

十三南方駅、焼肉屋。付き合うと決めたその瞬間、テーブルに置いた携帯が光った。好きな人からだった。この三ヶ月間まったく音沙汰がなかったのに。「マジかよ」と思った。心にGPSを付けられてるんじゃないのかな、って本気で疑っていたけど、あれマジだったのかもしれない。

まあそんなエスパーも、年を追うごとに効かなくなってしまった。 聞けるなら、聞きたい。私の選択をどう思う?と。彼が「僕は君が幸せならなんでもいい」と言うのは目に見えているが。

メッセージの内容は、結婚がなくなったということだった。理由は彼の突然の転勤。なにがなんだかわからないけれど、今言わなかったらまたズルズルなると思った。わたしはあなたがずっと好きだったと伝えた。僕よりもっといい人がいるとフラれた。それでも私はあなたが好きだと言った。

24歳、初めての彼氏。嬉しいはずなのに家に帰って泣いた。声も出さずに泣いた。多分わたしは、誰のことも好きになれないと思って泣いたのではなく、彼以外の誰のことも愛したくなくて、泣いたんだと思う。

〈2018.6.18〉

地震が起きた。あまりの揺れに死ぬと思って叫んだ。その数秒後、「会社に行かなくちゃ」と思いすぐ駅へと走った。隣の家にピンポンして大丈夫か?と聞いているおばさん、誰か大切な人に電話をかける人々、今まで話したことのなかった隣人と顔を見合わせた、緊急事態は人が死ぬ、そして緊急事態は人と人との繋がりを強くさせるんだなとぼんやり思いながら家へ引き返した。

地震が起きた時、すぐ、死を感じた。己の死を。そして不謹慎にも「死んでもいい」と思ったのだった。今なら死んでもいい、と。四年間好きだった相手に思いを伝えて後悔はないし、昨日の夜は寝る直前までメッセージをやりとりして、私はこの上なく幸せだったからだ。

わたしが、この人は良い人だ、と思い続けている好きな人は、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。彼女がいなくなったから、連絡を返すようになったり、もしかしたら私は都合良くさみしさを埋めてくれる存在なのかもしれない。でも、わたしは、好きな人が良い人であっても、悪い人であっても、都合良く自分のことを使っていたとしても、そんなのは関係なかった。どんな形であれ、私に必要な人であることに変わりはないし、あの人の言葉がこれからも私に気付きをくれる。必要なのだ。悪でも善でも。

地震の日も、台風の日も、大丈夫?って一番聞いてもらいたかった人に言葉を貰えた。寝ぼけなまこで通知見たから夢だと思ってた。いい夢だな、って。好きな人が大丈夫?って訊いてくれるからいつも大丈夫になってしまう。いつも笑わせてくれて、明るくしてくれていた。生きていてくれるだけで充分なのにわたしのこと忘れないでいてくれて、しかも気にかけてくれて。あんまり幸せで夢なんじゃないかなと思う。たった一ヶ月の留学で一緒だった、ただそれだけの人と何年も定期的に連絡を取り続けているなんて、すごいな〜自分でも可笑しいなって思う。六年間クラスが同じだったひととはもう連絡先さえ知らないのにね。

〈秋〉

会社が終わって外に出ると、陽が落ちるのが早くなっていて、夏も終わりか、とぼんやり思う。夏が終わったらわたしの悪遊びも終わりにするのだと、決めてここまできた。

自分のしてきた選択に何一つ後悔はない。四人同時進行を解消し、最後は彼氏を捨てた。わたしと全然違う生き方をしている人だった。月換算すれば100万はゆうに稼いでいるような、お金がすべての一番上にあるような人だった。それでいてとても優しかった。最初から最後まですごく大事にしてくれた。わたしのやった酷いことも全部何も言わず受け入れてくれたし、たくさん尽くしてくれていた。デートはいつもわたしの行きたいところだったし、わたしの話を否定することなんて一度もなかった。全部肯定してくれていた。嫌な事は一つもされなかったし、わたしのスピードを認めてくれていた。何一つ文句を言われなかった。思い遣って気遣ってくれたし、可愛いところもあったし、顔も悪くなかった。浴衣姿見たかった〜!と大声で喚くし、わたしは全然めっちゃ好きとかじゃないんだけどいいの?って最悪な問いにも、好きになってもらえるように頑張るって言ってくれた。友達と会う話をしたら、俺だって会いたいと言って、別れる時も最後まで、俺は別れたくないって駄々をこねてくれた。月一回しか会う日を提示しないことも、しんどくないし傷つかないし好きになってくれる可能性があるなら俺はいつまでも待つよ、と言ってくれた。

この事実を知ってわたしに失望したり、離れていった友人もいた。今まで彼氏がいなかった私がこんなことになったのを知って、ものすごく仲の良かったはずの子に明らかにマウントと思われる行為を受けたりもした。それはそれでショックだった。でも今でも残っている友達は、この事実を知った時に面白がってくれた。このことをすごく鮮明に憶えている。

大体みんな20歳も過ぎたら彼氏の一人や二人いて普通で、私自身彼氏ができたことのない自分に対して焦りや劣等感がなかったと言えば嘘になる。それでも告白されるタイミングがあっても誰にも頷くことはできなかった。一回付き合ってみたら?みたいなアドバイスもたくさんされた。でも無理だった。彼が好きだったから。その私がこうなったことに対して、責めるでもなく羨ましがるでもなく、笑い飛ばしてくれた友人のことを私は信頼できた。

人生初めてできた彼氏に、多分私はすごく愛されていたと思う。彼はすごくいい人だ。純粋で優しい。寝坊しても怒らないし、毎回車で家まで迎えに来てくれるし、嫌な顔一つせず何時間でも私の為に運転してくれる。私の悪いところを知っても好きだと言ってくれたし、信用してるから何してもいい、と委ねられた。俺ずっと家に入れてもらえないよね?俺の家に来てって言っても来ないよね?と言われた。手繋いだりしたくないよね?と聞かれた時は「この人とは本当に無理だ」と思った。それでも、わたしが何一つ恋人らしいことを拒否しても、わたしの意見を聞いてくれた。初めての彼氏になってくれてどうもありがとう。多分わたしはすごく幸せに見えていたと思う、世間から。

この人がただ健康にしあわせに今日を生きられますようにと願えるような、そして、そのことが自分が今日を生きていく励ましになるんだと実感できるような人と、たとえその人のいちばん傍にはいられなくても、出会える時がある。出会ってしまったらもう他の人では替えが効かない。あのままアプリで出会った優しい彼と付き合い続けていたらいわゆる皆んなの羨む生活を送れていたかもしれない。だけど、自分の心に嘘をついて幸せの真似事をするのはもう限界だった。

あの人が好きだった。

わたしを笑わせようと動画を作って送ってくれた。地震が起きた日、心配して誰よりも早く連絡をくれた。仕事が忙しい日も、返事をくれた。いつもわたしの一言に何倍も返事をくれた。可愛いって言ってくれた。浮かない顔してたら大丈夫?なんて聞かず「心配しないで。気楽でいいよ」と言葉をくれた。あげたお土産を大事に使ってくれた。毎年誕生日を覚えててくれた。

この世界で君を見つけれて本当によかったよ、って彼がencounterでもmeetでもなく、findを使ってくれたから泣いてしまった。彼の現在地はずっとわたしの故郷のままだし、彼のことだからきっと日本にはいつまでも来ないんだろうな。わたしは彼と出会えて本当によかったよ。もう一度出会うなら次はどんな二人になろうか。その時はどんな話題で笑おうか。どんなことで泣こうか?沈黙は何よりも激しく愛を語るというならあの時、二人の沈黙さえ今は愛おしく思えるね。たぶんもう恋は薄れて愛も薄れてしまったけれどそれは救いかもしれない。五年もかかってしまったよ。それでもやっぱり今でもね、愛してると思うよ。

最初で最後だったあなたがわたしを必要としてくれた時、あなたのところに行く勇気を持てなかったこと。今でも後悔する。どうしてあの時、って悔やんでも悔やみきれない。最近あなたの生活は、どう?って来月も再来月も聴きたった。猫の写真、いくらでも送るから、ふたりは終わって欲しくなかったなぁ

朝から晩まで、おはようからおやすみまで、夜中どんな遅くなっても眠い目をこすって返事を返そうとした。生活リズムが違ったら、わたしが多少無理をしても合わせようと思った。それは、自分の体力や時間や睡眠時間を犠牲にしても、彼とのやりとりや、その時間がかけがいのないもので、なんでもない日々の中のオアシスのようだったから。今だってそう。告白をしたところで、終わる関係ではないと分かっていたし、事実終わらなかった。分かっていたことだけど、嬉しい。こうやってメッセージをやりとり出来るのが嬉しい。たとえ特別になれなくても、わたしの人生には彼の言葉や生き方があってほしい。

クリスマスの日、あの人から連絡はなかった。仕事なのかもしれない。去年も一昨年もメリークリスマスって、言って、くれたのになあ。ごちそうの写真を送って、たのしそうだった。それを見て、わたしも嬉しかった。そういうことだけでよかった。会えなくても繋がってることがうれしかった。高い確率で、彼はもう自分が送った写真のことも忘れているだろうけど、わたしは、わたしだけ、ずっと忘れないだろうな。そう、思っていたけどそれも今日で、終わりにする。

好きになってよかった。出会えて、ほんとうによかった。出会ってくれてありがとう。宇多田ヒカルの歌詞じゃないけど、今日が人生最後の日でも、50年後でも、彼に出会えてわたしは誰よりも幸せだったと、嫉妬されるべき人生だったと言えるな。あなたがわたしに夢をくれた。あなたのおかげで自分を大事にするということが、周りを大事にすることにもなるんだということを知った。愛される気持ちも愛し方もあなたが教えてくれた。あなたがわたしの名前を呼ぶ声が、とても好きだった。

二人でいた会話の一粒一粒を覚えているような恋、会っただけでいつもとは考えられないくらいの感情が押し寄せてそれを言語化しないと居ても立っても居られなくなるような恋、友達にやめとけと言われても信じたかった恋、青くて熱い恋だった。20歳前後の恋愛は、さりげないきっかけで大きな感情を生んで、前に突き進むしかない、それが良かった。あれから半年が経った。強い感情が生まれないこと、悲しくて懐かしい。健康的だ。会わなかった事は理由がある、会ったことにも理由がある。あの時の私はどうかしてたし、自分を傷つけていたと今なら思えるけれど、あんな風に人を愛せた事は美しかったな、とも思う。肯定されるだけで人を好きになったり、少し肩に触れられただけで心が動いたり、唯一無二だった。

相変わらず今日も彼は飄々としていて、いつも鼻歌を歌ってるんだろう。そんな彼をみて、いいなーって思ってた。わたしもなりたいなーって。彼は今年で29歳になる。わたしは来年26だ。いい歳だ。

あの日空港で、あなたは「ララランドはハッピーエンドだと思った」って言ったじゃない?わたしはそうは思えなかったんだよね。

子どもだったから。

監督が、「人は、残りの人生を決定づける人と結びつくことはできるが、その結びつきは残りの人生までは続かない。そのことは、ものすごく美しくて、切なくて、驚くべきことだと僕は気づいたんだ。」と言っていた。だってわたしは、あなたと、今までも今もこれからも、ずっと結びついて生きていきたかったから。彼は、わたしの人生になくてはならない人だし、あの人に出会わなかった人生なんて考えられない。

私たちの人生は流動的で、一方向にしか流れない。終わりに向かってずっと流れている。その中で色んな山から流れてきた水と出会う。色んな水と混じり合って、自分の進むべき方向へと進んでいく。私たちは出会う。でもそれだけ大きな出会いというのは、関係性は、最後までは続かない。それでも、その出会ったことによって生まれた何かしらのエキスは、私たちが死ぬまで、人生の最後まで、残り続けて、その後の人生を大きく変える。それで、それが、素晴らしいのだ。この上なく。

「いつか会える日、わたし、胸を張っていたいんだ。今、わたしこんなことしてるよ、って、あなたに会って育った芽がこんな風に育って意味を持ったよ、って、見せたい。」その夢は捨てることにした。あなたに見せるための夢はやめた。わたしが見たい夢をみる。

わたしは、もっともっと、世界が平和になってほしい。もっともっと、人が人に優しい世の中にしたい。そのためには伝え続けるしかないと思う。いろんな方法がある。戦場カメラマンだって募金をする人だって道で迷ってる人に声を掛けてあげる人だって、みんな同じようにその一歩を繋げてくれている。私だから出来ることってなんだろう?と思った時に迷わず選んだ手段が、文化、だった。文化を媒介にしてそれを成し得たい。文化を作るのは人だ。文化にはその先にある人間が滲み出るからこそ、人と人を繋げられる。

「叶わない願い事は叶わないと気付いてから前に進めるもんだけど、簡単に決別できないところも含めて願い事だと思う」とある人が言ってた。

例えこれが「願い事」だとしても、その願い事を抱えて明日も生きていくことにするよ。そんな昔をいつか思い出せるように、備忘録として記しました。またね

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