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犬がいる暮らしがどう幸せなのか#ペットとの暮らし

昨日、保護猫と保護犬がいると幸福度が上がるという内容のnoteを書いた。

今日はその続きみたいな感じで、具体的に何がどう幸せだなと感じるのかについてを、綴っていこうと思う。

まず、犬も猫も言うまでもなくかわいい。動物が嫌いという人には分からないかもしれないが、わたしにとっては無条件でかわいいと心の底から思える対象である。それは、自分の家族以外の犬猫、その他の動物全般に対して思う。

とにもかくにも”かわいい”。

もふもふなカラダ・ぷにゅっとしていたり、ちょっと硬くなっている肉球・小さい歯やお口・感情を表す尻尾・ピクピクと動くお耳・つぶらだったり、くりっとしているお目目・ぷりっとしたお尻・ひくひくさせるお鼻・四足の足。

なにをどう切り取ってもいちいち全てがかわいい。

少なくともわたしは無条件でニンゲンの手や足、カラダなどをかわいいと思うことはないので、この時点で犬猫は既に特別である。

では、具体的に何がどう幸せなのか。今回は犬と暮らす幸せ編。

まず、無条件でかわいい(自分の家族となるとさらに100倍くらいにはかわいい)犬が、自分を飼い主だと認め信用を置いてくれている。その事実が幸せである。

飼い始めた瞬間から、少しずつ少しずつコミュニケーションを取ったり、お世話をすることで徐々に信頼関係を築いていき、心と心がつながっていく。

この過程もやはり幸せである。今までできなかったことが、しつけによりできるようになったり、名前を覚え呼んだら来てくれる。その瞬間グッとくるものがある。感動や嬉しさや幸福感が混じったものがグッとくる。

特に、トラウマを抱えている犬が心を開いてくれた瞬間は、本当にグッとくる。あまりにも嬉しくて幸せで泣きそうになる。

噛み犬と言われ、たらい回しされていたチョコが我が家に来たとき。彼女はどこか不安そうにしていたが、時間ともに慣れて、徐々に甘えてくるようにもなった。その変化が嬉しいし幸せである。

信頼関係ができ、飼い主と愛犬という関係ができた後も様々な幸せがある。

愛くるしくかわいい犬が、自分に甘えてくれる瞬間。遊んでとせがんでくる瞬間。帰宅を喜んでくれる瞬間。どの瞬間も嘘偽りなく、幸せである。

でもこの幸せは意識しないと、幸せだと感じなくなる。それは、昨日も書いたが、当たり前のことになってしまうから。

飼いはじめは、なにもかもが新鮮で嬉しくて幸せだと感じてるはずだが、そが当たり前になり日常になると、その幸せも薄れてしまう。

そしてわたしのように、失ってはじめて気づく。

犬がいる。それだけで幸せなはずなのに、当たり前になってしまうと、その幸せを見落とす。

そうならないためにも、一緒に生きれることを当たり前と思わず大切にしたい。

明日は猫編。



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