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赤 + 青 = 紫 にするのは難しい

こんにちは。id_butterです。

娘の保育園で掲示されていた足し算がほほえましくて気になっている。
赤🔴 + 青🔵 =  という色の足し算である。
他にも「黄 + 青」とか 「赤 + 白」とかいろいろ貼ってあった。
で「赤 + 青」に関しては、わたしがやったときは紫にならなかったよ、と次女は口を尖らせていた。
それでふと、いろいろ考えてしまったのが、以下である。


結婚 ー ??? = 離婚


断捨離をしていて、去年のカレンダーが出てきた。
見ると、わたしの欄だけギッシリ文字で埋め尽くされていた時期がある。
何をしていたか、鮮明に思い出した。

そのころは、元夫がわたしに文句ばかり言っていた。
おればっかり料理をしている、とかゴミ捨ては大変なんだから、というようなことだ。
家事全般を元夫の担当にしていたのだから、当たり前だ。

生活費を全然負担しない夫との妥協案がそれだった。
そして、夫の同意の下、わたしは仕事量を増やしていた。
とはいえ、すべてを夫に任せることはできなかった。
お金の管理や子どもの教育・習い事、区や学校・保育園関連の手続き、家事の中でも洗濯や裁縫や買い物、子どもの寝かしつけや細かなケア、休日の生活全般(夫は土日仕事)、映画・旅行の手配(夫はネット予約できない)などはわたしの担当だったので、毎日雑務はそれなりにあった。

けれど夫は想像力が足りないため、わたしが何をしているか何回説明してもわかっておらずサボっていると思っていた。
生活費を負担してもいないのに、サボったとして怒る理由も本来はないのだが、同じ家でずっと怒られているとストレスになるので対応していたのだ。
で、くだんのカレンダーだ。
毎日わたしが何の仕事をしたのか見える化した。
夫にわかるように、日々何をしていたか記載した。
けれど、夫は理解しようとしなかった、理解したくなかったのだと思う。
その結果が離婚ということになる。

わたしの結婚観は間違っていたな、と考えざるをえない。

愛 + 永遠 = 結婚

とか思っていたのだから、頭がお花畑すぎる。
憧れていたのだ。
「愛」が自分を実家から解放してくれると思っていた、たぶん。
実家と縁を切りたかっただけかもしれない。

結婚というのは、約束つまり契約であるから、拘束をともなう。
拘束されるのは、愛という曖昧なものではない。
お金とか肉体とか実体のあるものである。

ということは、もっていない人は拘束されないのだ。
お金を持ってなければ払えない、その場合結婚のデメリットがない。
実体のあるものを所有するというのは、縛られるという意味を含む。
土地などで考えるとわかりやすい。

だから同じ量と質の総合力を持ってないと、結婚は成立しづらいんだなと実感した。
いわゆる格差婚、と言われるやつ。

わたしは、大好きだから、大好きなひとと生きていきたくて、そのひとの子どもを産んで育てたくて結婚した。
それは、結婚の本質にはあってなかった。

わたしの結婚は引き算だった。

ただ、引かれたものは実体のあるものではなかった気がする。
夫が支払ってくれるはずだった家賃を支払っていなかったときに失われたものはお金じゃなくて信頼だった。
わたしが大事にしていたものがなぜか捨てられてしまうときに消えてしまったものはそのモノというより、ふたりの間に暖かく流れていたはずの愛情だった。
苦労して用意したものを雑に扱われ消費されるのを見るたびに、わたしの友人の悪口を聞くたびに、嘘をつかれるたびに、あったはずのものが減り、消えて、なくなっていった。あるいは、元からなかったのかもしれないとすら思った。

減っていくものに怯え、足そうとしているのはわたしだけだった気がする。
それも、あたりまえだった。
夫は減っていくことに気づいていなかったし、そもそも持っていなかったのかもしれない。

結婚 ー 「大好き」 = 離婚

わたしの場合、こうなる。
なかなか離婚できない、しないひとの場合、どれだけのものが結婚に詰まっているのだろう。
世間体 + 安定 + … + 愛情 = 結婚
とかだったら、わたしも離婚しなかったかもしれない。

きれいな紫色を作るのと同じように、壊れにくい結婚をするのは難しいのかもしれない。

今日も帰り道娘に聞かれるだろう。
黄+白は何色?とか。
その度にこのことを考えてしまいそう。

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