♂と♀ ふたりがいる意味 前編
こんばんは。id_butterです。
ふわふわじゃないスピリチュアル学 の第4回である。
”せい”とよむ漢字はたくさんある。
生、性、聖、精、成、姓、、、、いろいろな意味を見ていると、なんだか最終的に同じもの、”起源”というものに行きつくような気がして、漢字たちを眺めていた。
今回は男性と女性について考えてみたい。
なんで男性と女性という陰陽の存在がそれぞれ必要なのか、ということを知りたい。
だけど、自分で設定しておいてなんだけどテーマが難しい。
今回はうまく着地できる感じがしない。不安。
ということでゆっくり進みます。
そして免責事項、いや言い訳。
最初に言っておきますが、わたしは専門家じゃなくほんの2ヶ月前に勉強し始めた素人です。その素人が個人的な見解、妄想ともいえるかもしれないものを好き勝手にお話しするだけなので、詳しい方から見たらツッコミどころ満載かもしれない。ご容赦くださいませ。
人類初めての男性と女性といえば、アダムとエヴァ(イブともいう)を連想するけれど、違う考え方もあるらしい。
それが、ちょっとおもしろかったのでそちらから進めてみる。
人間そのものがアダムと名付けられました。神は、まだ性別のない、すなわち無性の男であると同時に女である人間を創造されたのです。では神はどのようにそれを創造されたのでしょう。神に似せて創造されたのです。
〜神殿伝説と黄金伝説(ルドルフ・シュタイナー)より引用〜
この解釈はこうある。
人間は、もともと神に似ており、有性生殖ではなくて、単性生殖で子孫を増やしてきました。
〜神殿伝説と黄金伝説(ルドルフ・シュタイナー)より引用〜
…ゾウリムシ?
この考え方ではアダムは男性というより、性別がない(あるいは男であると同時に女である)ものだから、アダムから作られたエヴァも同じ性質であると考えられる。
アダムという名前について書いておく。
アダムは「地面」という意味で、同じ創世記に「神は地面の土を使って人間を作った」と書かれているからだそう。
地というのは、「物質や財産など現実的なもの」の比喩として使われる。
「神」が大きなエネルギーだけの存在(ワンネス?)を表すとしたら、アダムは神に似たエネルギーを含みかつ物質を使って形作られた存在ということになる。
つまり、人間は神の子あるいは神そのものということになり、スピリチュアルの一般的な考えと一致する。
ではこのときにすでに肉体を持っていた=受肉していたか、つまり地上で人間として存在できていたかというと違う。
人間がまだ「楽園」にいたとき受肉していたら、ゼウスが欲していた通りになっていたでしょう。ゼウスは人間を自己意識を持たない存在のまま幸せにしたかったのです。そうなれば、明瞭な意識はただ神々のみが有し、人間は自由への感情を持たずにいたでしょう。
〜神殿伝説と黄金伝説(ルドルフ・シュタイナー)より引用〜
つまりアダムとエヴァの時点ではまだ肉体を保持しておらず、意識つまりエネルギーのみだった。それに神に似た存在だから、意識も今の人間ほど分化していない集合意識に近い状態、つまり個性があまりない。アダムは神のコピー、エヴァはアダムのコピーだから、意識の三つ子的な感じだろうか。
とはいえ、1が2になるとき獲得されるのは、自分と他人だ。意識が分離したことで一歩人間に近づいたというのは間違いなさそう。
そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう。」
〜創世記より引用〜
このエヴァが造られたシーンでは、まだ「アダム」と「エヴァ」ではなく「人 man」と「女 woman」という表現になっている。男ではなく人と訳している意図は、人ともう一人の別の存在だということを表したいのかも。
1が2に分離したものの、それぞれの1の中身は同じでただ別個に存在するだけだということ。
この後、アダムから作られたエヴァは、アダムがしなかった「知恵の実を食べる」という罪を犯す。自分と違うこと、それが、自分と他人が存在する意味だ。
たとえ中身が同じであったとしても、自他の境界線は存在しており、それぞれが別の経験を積んで、別の感情を味わう。
実際、人と女が、アダムとエヴァと呼ばれ始めるのは知恵の実を食し神に背いたことを問いただされる場面以降である。
神の手から離れて自由になる、楽園を追放されるときに、名前を獲得する。
単なる人であったものが「アダム」という名前を、女が「エヴァ」という名前を獲得し、ここまで同じものであったものが別の存在になる。
一段階進むのだ。
別の経験を積んで、別の感情を味わうことにより、個性を獲得する。
片方は離れてさみしいと感じるかもしれない。
もう片方は自由になったからどこにでもいけると思うかもしれない。
タロットの悪魔のカードでも描かれていた。
悪魔が裸のアダムとエヴァを操り人形みたいに鎖でつないでいる絵。
つまり、アダムとエヴァは自由じゃなく、大元とつながっていて、神に守られた楽園は檻だったともとれる。そして神様は悪魔にもなりうるのかもしれない。
ここまでは神から人が造られた話だった。
あれ、全然男性と女性にたどり着けないぞ。
さらに進みたいのだけど、疲れちゃったから、ここからは次回に持ち越し。
次回はカインとアベルの話です。
エヴァといえばこっちを想像してしまう。
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