猫娘の捷克(チェコ)鍵盤音楽探訪記 第3回

〜チェコのピアノ音楽の作曲家たち〜             文:河合珠江

第3回 フランティシェク・クサヴェル・ドゥシェク František Xaver Dušek (1731-1799)

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1. ドゥシェクの生涯

フランティシェク・クサヴェル・ドゥシェク František Xaver Dušek は1731年12月8日にチェコ・ヤロムニェシュ近郊ホチェボルキで洗礼を受けました。ここは、ボヘミアの東北に位置します。

小作農の家に生まれ、質素な暮らしでしたが、地元の有力者シュポルク伯爵の助力によりイエズス会ギムナジウムに通ったのち、プラハでフランツ・ハーバーマンFranz Habermann (1706-1783)、ヴィーンでゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル Georg Christoph Wagenseil (1715-1777)に音楽を学びました。

ハーバーマンは、18世紀前半にフランスやイタリアの宮廷で音楽監督を務めた実力者です。1740年代初頭にボヘミアに戻り、1773年にヘプのカントルの座に就き、亡くなるまで職務を全うしました。ヴァーゲンザイルは長らくヴィーンの宮廷作曲家を務めました。現在では、モーツァルトが彼の作品に親しんでいたことで知られています。ドゥシェクは、外国で活躍した2人の高名な作曲家に学んだことになります。

ドゥシェクは少なくとも1770年にはプラハに移住し、音楽教師およびピアニストとして活動します。弟子のなかには、この連載でも取り上げたヴィターセク、コジェルフのほか、ヴァーツラフ・ヴィンツェンツ・マシェク Václav Vincenc Mašek (1755-1831)がいます。

一般的に、ドゥシェクの名はモーツァルトとの関連でよく知られています。ドゥシェクは1776年10月21日に弟子であるソプラノ歌手ヨゼファと結婚しました。ザルツブルクの薬剤師の娘であったヨゼファは、翌1777年8月にザルツブルクでモーツァルトと知り合います。このとき、モーツァルトはヨゼファのためにコンサート・アリア《ああ、私は前からそのことを知っていたの!》K. 272を作曲しました。この縁からドゥシェク夫妻とモーツァルトの交際は始まり、ドゥシェクはモーツァルトをプラハに呼び、1787年1月、《フィガロの結婚》K. 492のプラハでの成功へと導いたのでした。

モーツァルトは、ドゥシェク夫妻の別荘「ベルトラムカ荘」に滞在し、《ドン・ジョヴァンニ》K. 527や《皇帝ティトスの慈悲》K. 620を完成させました。ちなみに、1787年11月にモーツァルトがここの滞在した折には、ヨゼファが依頼したアリアを、モーツァルトがなかなか書かないので、ベルトラムカ荘に鍵をかけて缶詰めにした、というエピソードが残っています。このとき書き上げたコンサート・アリアが《私のうるわしき恋人よ、さようなら》K. 528です。

モーツァルト:《私のうるわしき恋人よ、さようなら》K. 528

かなり難しいアリアなので、ヨゼファは実力者であったのだとわかりますね。これを聴いたドゥシェクの心中は複雑だったかもしれませんが…。

さて、モーツァルトに限らず、ドゥシェクのもとには国内外から音楽関係者が集まり、ドゥシェクはプラハの音楽界に大きな影響力をもつ人物となっていました。パフタ伯爵家やクラム・ガラス伯爵家などもその一部です。晩年は病気を患い、1799年2月12日にプラハで亡くなりました。多くの音楽家が聖ニコラス教会に集まり、彼の冥福を祈って演奏しました。

2. F. X. ドゥシェクの作風

ドゥシェクの作品には40曲の交響曲、20曲の弦楽四重奏曲、21曲の弦楽三重奏曲、49曲の吹奏楽パルティータなどがあります。交響曲の一部を聴いてみましょう。

F. X. ドゥシェク:《交響曲 変ロ長調》

おそらく、上記の伯爵家のパーティーや式典などで演奏されていたのでしょう。とても聴きやすい音楽ですね。

3. 《(ピアノ・)ソナタ 第1番〜第5番》

鍵盤楽曲については、9曲の協奏曲、8曲のコンチェルティーノ、28曲のソナタなどがあります。私はこのうち、1773年に出版されたソナタから5曲を録音しています。

ドゥシェク:《(ピアノ・)ソナタ》第1番〜第5番(1773)

ドゥシェクの時代は、チェンバロからフォルテピアノへと移行する時代です。この頃は「クラヴィチェンバロのための」と書かれている通り、チェンバロで弾くことを想定しています(私はピアノで弾いていますが)。装飾音が多用されていて、ロココ調の優美な雰囲気が全体を包んでいます。5曲中4曲が、間に緩徐楽章を挟む3楽章で書かれています。また、最終楽章はメヌエットで終わることが多く、それらは30小節ほどで終わる簡素なもの(第2、3番)や、トリオをはさむもの(第4番)、ソナタ形式をもつ比較的大掛かりなもの(第1番)など工夫が見られます。

弾いていて感じるのは、リズムの面白さです。たとえば、2連符あるいは4連符の安定した流れのなかに、3連符や6連符、付点のリズムが、ふと思い出したかのように顔を出します(その逆もあります)。ついついテンポを外されるような錯覚が生じてしまい、単純なように見えて、自然な流れをキープするのが難しいのです。そのような面では、C. P. E. バッハの作風に通ずるところがあるのではないかと思っています。

執筆者紹介

河合珠江(かわい たまえ)

大阪府立夕陽丘高校音楽科、京都市立芸術大学音楽学部卒業。同大学院修士課程を最優秀で修了。大学院賞受賞。その後、同博士課程に進学し、チェコの作曲家であるJ. L. ドゥシークについての研究を行い、同大学で初めて器楽領域での博士号を取得した。博士論文は『ヴィルトゥオーソの先駆としてのヤン・ラディスラフ・ドゥシーク―ピアノ・ソナタの技巧性』。
2010年3月、ドゥシークの故郷であるチャースラフにて行われたドゥシーク生誕250年記念シンポジウムおよびマスタークラス(フォルテピアノ)に参加した。2012年6月、ヤナーチェクの老いらくの恋を題材とした朗読とピアノによる音楽劇「君を待つ ―カミラとヤナーチェク―」(共演:広瀬彩氏、須田真魚氏)や、同年12月、ドゥシーク、スメタナ、スラヴィツキーといったオール・チェコ・プログラムによるリサイタルを、いずれも京都芸術センターにおいて成功させた。2014年6月には、初めて脚本を執筆した音楽劇「はつ恋 ―ヨゼフィーナとドヴォジャーク ペトロフが奏でる愛の詩」(共著:林信蔵氏、共演:大塚真弓氏)を名優・栗塚旭氏の朗読とともに上演した。
近現代の作品にも積極的に取り組み、2015年10月には、静岡文化芸術大学にて、レクチャーコンサート「音と沈黙のはざまで―サティがきこえる風景―」においてリサイタルを行い、得意とするサティや、早坂文雄、武満徹、高橋悠冶らの作品を演奏、2016年8月には、京都市立芸術大学にて、レクチャーコンサート「松平頼則の音楽」においてオール・松平・プログラムで出演し、それぞれ好評をえた。2018年は「松平頼則・ドビュッシー、エチュード全曲演奏会シリーズ」(全3回)を実施した。2019年は5月にエチュード全曲を含むオール・ドビュッシー・プログラムによるリサイタル「音の万華鏡」、10月にドビュッシー、ヤナーチェク、八村義夫等による「幻想の瞬間(とき)」を開催した。

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