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なぜ私には介護の仕事がこんなにもおもしろいのか

でぃぐにてぃの一員として介護現場で働くことになった経緯はまた別で書きたいと思うんだけど、

ここ最近、一番聞かれる「介護の仕事楽しいっていうけど、何がおもしろいの?」について書きたいと思います。

本格的に仕事をする前の現場見学から楽しさを感じてわくわくすることがあったんだけど、
言葉になった瞬間があって、印象的でそのときの景色をとてもよく覚えている。
70代、一人暮らしの女性のA様のケアに初めて行った日。
電動車椅子で生活するA様のケアは、朝ベッドから起こして車椅子に移乗するところから始まり、入浴、更衣、食事準備、洗濯、掃除、などフルセット。
(これを読んでくれてる人の中には、介護士の仕事を知らない人もたくさんいると思うし、いてほしいと思うんだけど、立ち上がりや更衣など身体に直接触れる身体介助と、身の回りのことをやる家事援助の2つがお仕事です)
ベッドに寝た状態のA様に初めましての挨拶をしながら、
「これって私が寝坊してケアに来なかったら起き上がることもできないってことか、大変だな、、、」なんてぼんやり思っていた。
ぼんやりしてる暇はなくて、先輩介護士の手によって、あっという間にケアが進んで、入浴も更衣も終わり、A様は整容(身だしなみを整えるやつです)へ。
その間に進む朝食準備の様子を見ていて、ふと顔を上げたら、髪もメイクもばっちりでしゃきーんって感じになったA様が車椅子でばびゅーんとリビングに戻ってきた。
「きれい、、、」って思って、一瞬フリーズした。
しゃきーんになったA様は、前日に仕事で会った人の話や、食べてたグレープフルーツの話、いろんな話をしながら朝食をとって、
さっさとパソコンに向かって仕事をはじめて、
ケア終了時には、「鎮目さん、これからよろしくね、ヘルパーさんが来てくれるから私生きていられるんだから、ありがとうね」といって、見送ってくれた。

圧倒されて感動して、帰りの自転車は胸がいっぱいだった。
「きれい」って思ったのは、整った容姿の美しさではなくて、(注:A様は容姿もきれいです)
障害があって弱々しい高齢者だと(勝手に)思っていた人が、素敵な一人の女性として登場して、
「そっか、ケアさえちゃんと終われば、他の人と同じ、ただの人なんだ」って、
大げさにいうと、かけがえのない一人の人としてそこにある、存在の美しさに触れた、ってことなんだと思う。
朝一で見たA様は、助けが必要で、弱い存在で、
私は助ける側で、強い存在であるかのように感じてしまったけど、そうじゃなかった。
初任者研修で教わったことを思い出す。
「介護では、その人ができないことをやる、その人ができることはやらない」
A様は、生活において一人ではできないことがあるから、それをヘルパーが代わりにやる、一緒にやる。
人の手によってマイナスからゼロ地点に戻る。
ゼロ地点においては、どの人も等しく尊くて、それぞれの人生がある。
私との優劣がないどころか、しゃきーんになったA様は、女性の先輩、人生の先輩として憧れすら感じる存在で、
私が助けなければいけない弱い存在なんかでは全くない。

A様は仕事もされていて活発な方だから分りやすいけど、
認知症で一人で暮らすおばあちゃんのおむつを替えても、
目が見えない方の代わりに買い物に行っても、
いつも同じ感動がある。
今日も起きて清潔な下着に着替えて好きなコーヒー飲めたら、
自分では買い物行けなくても好みのポテトチップスがテーブルにあったら、
ほっとしたり、自分を取り戻せたり、安心してやる気が出たり、次のこと考えられたりする。
毎回のケアで、マイナスが少し解消されてゼロに近づいて、あとは自分自身で勝手にプラスに向かっていく、ふわっと前向きで温かいエネルギーを感じる。
これに深く深く胸を打たれ、癒されて、励まされて、ケアに行ってケアされて帰ってくる感覚がある。
訪問介護ってその人の生活の中に入っていくから、その喜びがリアルに感じられるんだと思う。

介護の仕事は、その人らしい毎日や人生が続いていくようにご自身ではできないことを手伝う、その意味をちょっと体感できたかもしれないと思っている介護士歴3ヶ月、これから自分の意識がどう変わっていくのかも楽しみ。

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株式会社でぃぐにてぃの介護士&経営企画、NPO法人ミラツクの研究員(非常勤)、人となりを知ることからはじまる出会いの場 Hitotonary 主宰、2歳女児の母、IBM→マーケコンサル→スタフェス→今、「それぞれの人が持つ力が発揮され多様性が活きる社会」がライフテーマ。