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おじいちゃんに感謝


私にとって、一番、言われて嬉しいことは、「笑顔がいい!」という言葉。

この笑顔について、書きたいと思います。

私の笑顔は、おじいちゃんのおかげ。これは、紛れもない事実で、本当に、おじいちゃんに感謝で、私が、子供の頃、一番好きな家族は、だんとつ、おじいちゃんだった。

笑顔について言うと、この裏には、悲しい、幼少期の経験がある。

私には、一つ上に、姉がいます。その姉は、本当に、テレビの世界にいるようなとても美しい顔立ちの女の子でした。本人にも、自覚もあり、周りも、綺麗だ綺麗だと言っていました。

幼な心にも、とても傷ついた言葉は、親戚中が、「お姉ちゃんは本当に可愛い。天から与えられたもの」という言葉でした。お姉ちゃん 「は」 という言葉に、私は違うとも、当時の私は、受け取っていました。しっかり、傷ついたんですね。そう、取ってしまうということは・・

あの頃の私は、傷つく、心を、隠して、その時の感情すら封印しているような子でした。

それを、ちゃんと記憶しているくらい、インナーチャイルドといして残ってしまっていました。

両親からの愛情も、感じられなかったな~  と、自分が子育てをしてみて今思うことですが、子供に感心がない親でした。その頃は、それが普通だと思っていました。だから、親と会話した記憶はないです。

そんな中、可愛がってくれたのは、おじいちゃんです。

おじいちゃんは、私のことを、「あこたん」と読んでいました。

あこたんは、可愛くて目に入れても痛くないって言ってくれていました。

そして、おじいちゃんが、いつも、「あこたんの笑顔は、本当に可愛い。」と、笑顔をいつも、褒めてくれていました。

その時は、笑顔が可愛いってどういう意味なんだろうって思っていたと思います。ただ、子供ながらに、笑顔が可愛いって言ってもらえるんなら、笑顔でいよう!って思っていたのは、記憶にあります。

その笑顔が可愛いと言う言葉は、私に魔法をかけてくれました!

いつも笑顔でいよう!いつも笑顔を大事にしていたい!と強く思って、特に中学校高校時代を過ごしたと思います。

お姉ちゃんのように、フリフリの服も着たかったし、髪の毛も本当は伸ばして、女の子をしたかった。けど親は、親は、二人目は男の子が欲しかったと聞いて、私は、男のじゃなくて申し訳ない気持ちになりました。スポーツ万能だったのもあり、真っ黒になって、スポーツし、それなりに親も喜ばすこともできました。

ただね、私は、女の子を生きたかった。今は、そんな反動もあり、スカートははいて、髪の毛もボブをキープし、女性らいい自分でいたいと思い、化粧も毎日欠かさずし、女性としての自分を埋めている感覚です。

笑顔においては、中学校、高校時代の習慣が、どんな時も笑顔でいれるよう訓練されたような気がします。

どんなに、辛いときも悲しい時も、人生のどん底だと思えるような時も、人前に出ると、笑顔になれるんです。

人生のどん底の時は、とても大変な状況でした。もう絶対に戻りたくないと思う悲惨な状況の時も、職場では接客業でしたので、心はクタクタでしたが、ちゃんと、笑顔が振りまけるんです。「いつ見ても幸せそうだなっ」「会えると元気を貰える」と良く言われていました。

その言って頂けるおかげで、「今日も、また頑張れる」と思ったものでした。

今思うと、完全なる笑顔の女優ですよね。

今は、女優ではなく、本物の私の笑顔ですけどね。

笑顔の女優をしているうちの副反応としては、人前で弱音を出せなくもなりました。

いつも幸せそうにしていなくちゃとも思いました。泣くときは、必ず1人で泣いていました。車の中で運転しながら、前も見えなくなるくらい泣いていました。

でもね、でもね、今でも、「笑顔が良い」「今日も会えて元気が貰えた」って言われるんです。

今は、心にも十分余裕もあり、言われたら本当に嬉しくて、一番の褒め言葉を頂けたと感じています。

ということは、私は、笑顔を獲得したことになります。おじいちゃんが言ってくれた「笑顔」を私の印象として自分も好きな人物像なんです。

笑顔がなかったら、好きな人物像にはなれていなかったのかもしれない。そう思うと、大きな2本の分かれ道のラッキーな方の道を笑顔を通じて歩めたんじゃないかと思うんです。

私が、虹の橋を渡るときは、どうか、おじいちゃん、迎えに来て下さいね。

「おじいちゃん、私、良い人生だったよっ」って、絶対、報告するからね。

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