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改カトリックは離婚できない。+2

21世紀である。

最近では、バックトューザ・フューチャーのドクが本当の未来へ来て収録した Youtubeの動画でこう言った「マーフィー、未来は毎日の平凡の繰り返しだ。輝かしい未来であった欲しい、それはこんなに退屈なことだったなんて」

しかしである。未だに未来の日本ではゲスの極みベッキー不倫報道など、セキュシャリティスキャンダル面において、そのスキャンダルの「基準」となっている倫理観は、カトリックそのものだ。

それは、聖母マリアが、処女でありながら、聖人イエスを産んだ、

アイドルはうんこはしない。

そんなことは神話の世界だというのは、もはや21世紀の未来では、「アイドルは同じ人間である以上、うんこはする」という天動説から地動説へと科学的観点を持って居ても、いくら教会から破門されても、思うだろう。

そもそも、釈迦もイエスも、預言者マホッドメッドもGODにも、偶像崇拝はするなと言われている。

しかしである。社会である。

社会性とは、だいたいの凡その人間が考えるであろう一般的ジェネラルな抽象化イメージにコミュニケーションツールとして使えるのか?である。

セキュシャリティ面において、まだカトリック的な倫理観が社会性をもっている。そして、みんなの前で話す時、8割くらいが、うんうんと、コミットメントせざる負えない。違うと、思っていても、社会秩序が乱れ、生物権力が無くなると、アノミーになってしまうし、社会が、そもそも無いことが、自明になってしまうのが恐ろしい。

アイドルは恋愛禁止。が商品として価値(不動産と同じような、価値)を創造できるのは、やはり、未だに現実は別として(キタの共産コクで覚せい剤やっている人民みたいな)、性風俗&セクシャル支配にカトリシズム的要素が本部にあるということだ。

だからである!

日本のエンターテイメントでは女衒となっているのだ。カントが批判する中世スコラ学や教皇などが規制していたものは、性と死である。

なので、その規制している価値が崩壊する局面、死である。性と死である。に実際に目の当たりにするとアノミーになる。

結局、最終的には、「正しい」とされる聖なる教会の中にある連れ込み小屋みたいになるのだ。つまりシャブ覚せい剤だ。覚せい剤は超越論的である。すべてをABove to beyondeする。


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