家族機能:Emotion

感情的なパーソナルな時。例えば、失恋した場合、性行為や、排便をしたい場合は、人間の脳は原始脳が優勢になり前頭前野での抽象度の高い思考などはあれされます。まあいいや、まあ失恋がいいと思います。そういう失恋した時の脳内ドーパミンはどうしようもないですよね。そんなときは、そっと一人になりたいし、ほっといおいて欲しい時もあります。そんな時、家が壁と屋根だけでもいいです。あれ?屋根と壁だけで、確か必要な、生命維持&社会的家機能はある程度あるんだっけな。それが失恋などの時では、それで十分なのでしょうか。いつものホームレスに登場してもらいます。ホームレスも脳を持った哺乳類ですので、言語を持った活動ができます。もちろん、恋もしたりするでしょう。まあ、恋なんかどころではなく、死ぬか生きるか、死んでから殺すかみたいな世界観で生きているホームレスですけど、知らないけど、恋くらいするやろ!!!!そんな時、ホームレスには屋根と壁がないので、感情的な保全はありません。しかし何故、感情的な場面、特に、感傷的で、センチメンタルな繊細な感情というのは、抽象度が高い言語空間ですね。あれれ?だから一番最初の例、で失恋と性行為と排便を一緒にしたからこんな混乱と混沌の世界観を構築してしまったわけで、さて、感情的なパーソナルな、人間だからできる高度な言語での感情表現、それが愛や恋です。それは、不完全性定理と戦うような、神への戦いのようなものです。感傷的な内部表現の完全性のある閉じた項である失恋ですが、これはもはや、Picture Me状態、まるで絵画になった時空を超越した状態です。周りの人間と相対的に時空がずれてしまいます。認識をすることで時間が進むとすれば、失恋したあなたは絵画そのもの。未来永劫の幸福、贖い、原罪、祈り、など。

そんな時に、社会的家機能がないと、きついですよね。急に、誰かが侵入してきて、内部表現を書き換えてきて、ランダム性のある感情になるかわからないですし、その失恋という感情は完全性がある状態で、宇宙に時空をねじ曲げたまま、存在するわけです。認識を変えない限り。社会的家機能は感情の保全をし、成熟する機能ですが、これが充分でない場合は、感情が、ちと不安定になってしまいます。もちろん生命維持家機能もないと、生命体として死滅してしまうので、死んでしまっては恋もできないですので、生命維持家機能はあるとしますよ。問題は、感情の保全をする社会的家機能に落ち度がどれくらいあると感情がやばくなるかです。例えば、最低限の壁と屋根、に落ち度があれば、どうでしょうか。壁が薄いとか、屋根から、常に泥棒が入ってきそうとか。何かしならいけど、壁から目あり、しょうじに耳あり、状態ですと、他者なんかいらない、失恋した相手とだけの関係性の認識の中に、おかんとか、生活保護のおっさんとかが勝手にはってきたら、たまらんっすよね。その他に、ライオンとか、像とか入ってきたら、たまらんでしょ。失恋中なのに、パオーンっていいながら、像がやってきて、なんやねんみたいな。センチメンタリズムやロマンチシズムの介入です。19世紀の高貴なアートに、おかんとか、生活保護のおっさんが入っているようなもんです。いやでしょ。アートは完全性のある数式なのに。

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