家というイメージによる動的平衡

驚くべき動的平衡というパラダイム。それは詳しくはググれカス!!


よし、ぐぐったな?動的平衡わかったか?わかったなら読めボケ!二度と来んな猿!!

つまりだ、家という機能をもったものは、脳のブリーフでいうものだ。脳が認識している自然界のパターンのうち、家の内部は、ある程度、家機能が無いといけない。そうでないと、自然状態(戦争状態)なんら変わらないのだ。

社会契約するにあたって、家機能の最低限の充実。これが必須だとは誰も教えてくれないだろう。しかし、社会化するには、権利として、必要最低限家機能がないと、社会化できないと断言できる。

それが、動的平衡という概念により、自然状態を身体が体現してしまうのだ。多種多様なストレスという情報を、脳内でパターンとして常時認識する。それを常に動的平衡を保つことで、家という自然環境と動的平衡を可能にする。

家が、クソ熱ければ、汗をかきまくってることに慣れるし、家がくそうるさいと、自然状態となんら変わらない。社会を形成するにあたって、社会の恩恵などなんも受けていない。植民地の人間そのものだ。植民地の人間は、狂人、精神障害者、異教徒、などと共にある特定の基準により、適正化される。例えば、学校のような施設に強制的に収容される。そこで人間とはこうあるべきだという、人間諸科学を学ぶのだ。そうすることで、近代以降の人間というイメージに近づこうと動的平衡をする。情報があるから素粒子が変更されるのだ。

めんどくさいので終わりだ。

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