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【ネタバレ】主観「シン・エヴァンゲリオン」感想文【5回鑑賞】

シン・エヴァンゲリオンを5回観た。
ただ、他の人に何回も観ることを勧めたいわけじゃない。
初回鑑賞時に受け止めたなにかは、とても大切なものだと思うから。
自分は「映画館比べ」がしたかったので何回も観てしまったが、初回観たあとはあいだを開けて、ゆっくり噛みしめて消化してからにしたかったな、という後悔はある。

[3/13追記]
なので、これを読む前に「シン・エヴァンゲリオン」を鑑賞して、十分自分の中で消化してから読み進めてください。
「シン・エヴァンゲリオン」にはあなただけの「シン・エヴァンゲリオン」があるはずです。そういう作品です。
それを上書きされないように、きちんと自分の中の「シン・エヴァンゲリオン」を大切に胸にしまい込んでから読んでもらえると嬉しいです。


文章として書き記すにあたって、感想と考察は分けておきたい。
まずは作品のメッセージと印象について記述し、考察はその後に回そうと思う。
乱文になるけれど、興味のある人の目に留まれば幸い。

「シン・エヴァンゲリオン」で庵野監督が伝えたかったことは何だろうか。
自分が最初に感じたのは乱暴にひと言にまとめてしまえば「大人になれ」だった。
初回鑑賞後、たしかそう感じてたと思う。
庵野監督はTV版、旧劇場版、今回の新劇場版を通じて、一貫して「オタクの世界に閉じこもるな」と言っていると思っている。
その点で、庵野監督は今回も変わらず庵野監督だった。

以前と同じことを言ってはいるが、旧劇場版で突き放されたのに比べ、今回はずいぶんと優しく押し出してくれたな、と感じる。それこそユイが最後にシンジを押し出したように、優しくエヴァファンを外の世界へ押し出してくれた。

外の世界とはすなわち「エヴァンゲリオンの無い世界」つまり現実だ。「現実を見つめて生きろ」と言われて自分の中のエヴァンゲリオンは終わった。これは初回視聴後の感想だ。
きちんとエヴァンゲリオンを畳んで、エヴァンゲリオンはここに畳んでおくから、この先は現実の世界を生きろ、と。
ただそれはとても優しいメッセージで、大人になって現実を生きるのは、とても前向きで、明るくて、白くて、さわやかで、「希望」というほど仰々しいものではないけれど、日々をそれなりに生きていくのは、幸せなことで、そんな幸せが「現実」の先にあるよ、と、そんな想いを受け取った。

エンドロールでは涙がさらさらと流れ落ちていった。
その時の気持ちを言葉に表すのは難しいというか、自分でもその感情を分解することが出来ないので、どんな表現を使っても具現化することは出来ない。
部分的に伝えるならば、エヴァンゲリオンがちゃんと終わったな、という想いは大きかったと思う。そしてちゃんと終わらせてくれたことに対する感謝。エヴァンゲリオンという作品を25年かけて紡ぎだしてくれた感謝。そしてさみしさ。
誰かが「卒業式みたいだ」と言っていた。絶妙な表現で、確かに結構近いものがある。それは友人たちとの別れというよりは、「もうこの校舎に来ることはないんだな」という感情の方が近いだろうか。

シン・エヴァンゲリオンは、ずっと開きっぱなしになっていたアルバム、途中までしか写真が無いアルバムに、最後の写真を入れてパタンと閉じてくれたような、そんな印象が強く残った。

話を作品のメッセージに戻そう。
「大人になれ」と言っている今回の作品は、「ペイフォワード」の物語だと思った。これは5回観たあとの感想だ。

シンジ君は最後、自分の幸せではなく、他の人々の幸せを願った。アスカの幸せを、カヲル君の幸せを、アヤナミレイの幸せを。
第3村では、シンジ君はまわりの人々にとても優しくしてもらった。「どうしてみんなそんなに優しいんだよっ!」と慟哭するほど、優しさを与えられたのだ。
優しくするということは、幸せに繋がる。優しくされた方も、優しくした方も、幸せになるのだ。カヲル君が加持さんに言われたように「シンジ君を幸せにすることで自分が幸せになりたかった」。それでいい。
それはエゴだけれど、世界を明るくするエゴだ(本当に相手が幸せになるなら、だが)。

第3村のトウジやケンスケはシンジに優しさを与え、前向きになる土壌を耕した。シンジはアスカの幸せを願い、エヴァの呪いを解き、ケンスケの元へ送り出した。
カヲル曰く「リアリティで立ち直って」いれば、誰かの幸せを願うことが出来るのだ。

エヴァンゲリオンイマジナリーの前でゲンドウは、人間は虚構と現実の両方を信じることが出来ると言った。虚構(エヴァンゲリオン)の世界で幸せを願い、それが成就するなら、人間はそれを現実でも信じることが出来る。
だからシンジは、シン・エヴァンゲリオンは、みんなの幸せを願い、叶え、その続きの現実へと踏み出して終わるのだ。

そんな希望のメッセージを包んで、エヴァンゲリオンを畳んでくれた庵野監督には感謝の気持ちが絶えない。
庵野監督自身にも、精神面でいろいろな困難が降りかかっていたと伝え聞く。そこを乗り越えてつかみ取った境地を、このシン・エヴァンゲリオンに込めてくれたこと、とてもありがたく思う。

自分自身、躁うつ病を患っていて、以前はメンタルが大きく乱高下していた。その不安定なメンタルを安定させるために、今までに得た智慧と経験は、今回シン・エヴァンゲリオンで描かれていたものと似ていると思っている。
庵野監督自身が立ち直るまでに、悩み、葛藤し、手を差し伸べられ、考え方が変わり、何かを得ていった。その時々の庵野監督が、エヴァンゲリオンの各キャラクターに宿っていると感じた。

そして最後にシンジ君は、「行こう!」と力強く答え、現実へ踏み出していく。
列車に乗って「イマジナリー」の世界へ帰っていくレイ、カヲル、アスカとは別に、レールを離れ、自由に歩き回れる、レールの無い現実の世界へと踏み出していくのだ。
それは「大人になった」シンジ君であり、誰かを幸せにすることが出来たシンジ君なのだ。

そしてエヴァンゲリオンは幕を閉じる。
だからこれからは、(リアリティとしての)エヴァンゲリオンがいない世界を、誰かを幸せにしたいというエゴを持ちながら、大人として歩んで行って欲しいと、そんなメッセージが込められた作品だったと自分は受け止めた。

他にも「アスカはアスカのままでいい」とケンスケが認めてくれたり、込められたメッセージは他にもあるが、とりあえずはここで締めたいと思う。
庵野監督、エヴァンゲリオンを美しく閉じてくれて、本当にありがとうございました。

(ちなみに5回観たけど、それぞれ違うところで5回とも泣いた。するめ映画。)

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