見出し画像

バイクの免許をとったのは

はじめて自分で運転したバイクは、ベトナムに住んでいたときに現地の友人から譲り受けたヤマハのスクーターだった。

ベトナムには「教習所に通って免許を取る」なんていう文化はない。ほとんどの人が、友達や家族に適当に乗り方を教えてもらい、そのまま路上に出る。(交通ルールなんてないようなものだ)

友人の自宅近くで2時間ほど運転練習に付き合ってもらったあと、「じゃ、家まで運転がんばってね!」と見送られたときの絶望感は忘れられない。
ムリ、絶対ムリ、死ぬ。

バイクの海にのまれそうになりながら1時間ほどノロノロ運転して、冷や汗をかきまくりながら家にたどり着いた。あの日ほど、死を間近に意識したことはない。

画像1

それから2年間、毎日そのバイクと一緒だった。

朝は現地の人たちに混じって通勤ラッシュに揉まれ、ときにはスコールの中をびしょ濡れになりながら走り、休日はお気に入りのカフェやお店に乗りつけた。

夜、仕事から帰るときは、よく川沿いの好きな道を遠回りした。


夜のホーチミンをバイクで駆け抜けるのは、それはもう最高だ。

むわっとした暑気の中に、発展途上の街特有のエネルギーが弾けている。
その中を他のバイクと一緒に走っていると、街のうねりと一体になるような高揚がある。

ぎらぎらしたネオンに、オープンエアのビアバーから流れる爆音のクラブミュージック。
路上にたむろする若者たちの笑い声、怒号みたいな叫び声。
屋台から立ち上るけむり、肉を焼くにおい。

それらがわたしの両脇を、びゅんびゅん通り過ぎていく。

街路樹の花が散る季節は、ヘッドライトが照らす花びらが光の粒みたいにきらきらして、それはそれはきれいだった。


東京から直行便5時間ほどで行けるのもあって、ホーチミンにいる間はよく日本から友達が遊びに来てくれた。
なんども友達をバイクの後ろに乗せて、夜の街を走った。

あの騒々しい夜を走っていると、なんだかもういろんなことがどうでもよくなってオープンマインドになる。バイクで街をぐるり巡ってからカフェで話をしていると、日本にいるときよりもずっと素直に心のうちをさらけ出すことができた。
友達も、実はね……といつもよりちょっとだけ深い話をしてくれることが多かった。

あの街には、なんだか無敵になれるような何かがあった。


駐在員ではなく現地の会社の社員として雇われていたから、日本の住民票は抜いていた。年金も保険料も住民税も払っていなかった。

なにもわたしを縛るものはなくて、しかもバイク1台あればどこにだって行ける。

最高の自由だ、と思った。
あのときの無敵感は、何をもってしても代用できない

日本に戻ってきてもうすぐ丸3年になる。
結婚して子どもが生まれて、都心のマンションに住み、電車に揺られて通勤している。
住民票もちゃんとあるし、健康保険も年金も払っている。

今の生活にまったくもって不満はないけれど。
ただそれでもときどき、あの街のギラついた熱気が頭をチラつくことがある。


今のわたしに足りないものって何だろう。

バイクだ、と思った。

それで、お正月のテンションがぎりぎり途切れないうちに、教習所に申し込みに行った。

週末の空いた時間にちまちま通い、ときにこわい教官に怒られながら、今日ようやく卒検の合格を手にした。(勢いで、新車の購入予約もしてしまった)


母親なんだから気をつけなね、と何人かに言われた。

もちろんわたしだって、小さい子どもを遺して死んじゃうなんていやだから、事故には最大限に気をつけたい。お金で買える安全はもちろん買うし、保険のこともちゃんと考えるし。

でも“母親だから”やっちゃいけないことなんて、何もない。

なにもかもぶん投げたいと思ったら、バイクに乗ってどこかをあてもなく放浪したい。

子どもがいつか、何かに深く悩んだら、うしろに乗っけてブーンと夜の街へ連れ出したい。


バイクの免許をとったのは、私は私の自由を守るからな、という宣誓のようなものだと思っている。
誰に、何に対してだろう。自分でもよくわからないけど、とにかくそうなのだ。

これ1台でどこまでも行ける、というあのときの気持ちを、何歳になっても持っていたい。

あしたもいい日になりますように!