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“書きたい”についての覚書

「好き」と「得意」は比例するとは限らない。


バレエを習っていた。過去形だ。4歳で始めて、12歳で辞めた。「将来の夢はバレリーナ」だった頃があった。

「中学受験のため」は建前で、本当は、どうあがいても越えられない才能の壁に気づいたからだった。

私より後にバレエを習い始めた子が、発表会で私よりいい役をもらうのを見て、嫉妬という感情を知った。


「誰かに対して嫉妬を感じたら、そこにあなたのやりたいことが隠れている」と誰かが言った。その通りだ、と思う。

テストで100点をとる友達に嫉妬を覚えたことはない。センターに抜擢されたバレエ教室のクラスメイトには、“なんであの子が”と思った。

バレエは大好きだった。誰よりも好きな自信があったから、辞めた。


***

そんな感情は最近まで忘れていた。忘れていたのに、思い出した。


なんとなくTwitterで流れてきたブログを、長文にも関わらず一気に最後まで読んでしまったとき。

会ったこともない人の日記で、つい涙がほろりこぼれてしまったとき。

小説の何気ない一文に、自分でも気づいていないような心の底を掘り起こされたとき。


ああ死ぬほど悔しい、と思う。本人を前にして、「あの文章よかったよ」なんて言いたくないと思う。バズっていたって、気にしないふりをする。

けどそれもかっこ悪いから、才能はこっそり認める。いいなあ、すごいなあ、と、布団の中で一人思っている。


だから私は“書きたい”んだな、と思う。

越えられない才能の壁を感じることもある。けど、その先にやりたいことがたくさんあるから、辞めない。

話すのはあまり上手くないし、写真や音楽もできない。だけどこの空気を、あの人のやさしさを、いつかの思い出を、どうにかその温度を保ったまま形にしたいから、書く。

その先に伝えたいことがある。まずは誰かのためじゃなく自分のために、いつかは誰かのために。

言うだけはかっこ悪いから、ちゃんと書く。その分、悔しかったり悲しかったりすることもきっと増えるけど、そんなのはいちいち噛み締めたりしない。

12歳でバレエを辞めた私の代わりに、踊る代わりに、書くのだ。


と、ちょっとギアを入れ直したくなったのでした。
今年は書く仕事をもっと増やしたい。がんばるぞ。

あしたもいい日になりますように!