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50年後におもうこと

たとえば友達と楽しく飲んでいるとき、ふと「50年後の私は今この瞬間をどんなふうに思い出すのかな」と思うことがある。

50年後。どこで何をしているかなんて想像がつかない。生きているのかもわからない。だけど、今の私が15歳のころを時折思い出すみたいに、未来の私もきっと今この瞬間をなつかしく思い返すことがあるんだろうなあ、と思う。


ぎりぎり昭和生まれなので、“平成最後の夏”と言われてもなんだかうまく乗り切れなくて、あんまりピンとこない。

それでも、“平成最後の夏”という区切りのよさに紐付いて、東京タワーの真下でハイボールを飲んだなあとか、毎日同じカフェでアイスコーヒー飲んでたなあとか、狭くてきたないオフィスで毎日パソコンに向き合ってたなあとか、いつか鮮やかに思い返すときがくるのだろう。


80歳の私がふり返る今が、しょうもない日常の断片ばっかりだといいなあ。覚えてても覚えてなくてもどっちでもいいような、ささやかな思い出ばかりだといいなあ。と、ふと思ったのでした。

あしたもいい日になりますように!