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「はじめからなかったこと」と同義にしたくない日々のこと

仕事の書類に添える一筆箋を書きながら、すぐに捨てられてしまうであろうこの手紙の運命を想う。情報の波と日々のせわしなさに呑まれて一瞬で消えてしまうものたちのために、わたしたちは丁寧に能動的に、神経をすり減らしている。

おなかが空いた気がしたので、食べたくもないトマトソースパスタとチョコレートドーナツを食べた。くだらないニュースを見て、知らなくてもいい情報を得るためにタイムラインを眺めて、それから昔のことを思い出した。


初めて買ったリップグロスや、好きだったマンガの最終回、反抗期の怒鳴り合い、予備校を抜け出して二人乗りした自転車、子どもじみた告白、2ちゃんねるで知った友達の訃報、スナックで飲んだウーロン茶、真夜中の異国の喧騒。

思えば何か意味があることなんてあったんだろうか。

初めて買ったリップグロスをきちんと使い切ったのかどうか、もう覚えていない。変わってしまったことがたくさんあって、忘れてしまったこともたくさんある。どこへ行きたいかなんていつもわからない。ほしいものだっていつも思い浮かばない。

***


そして今のわたしを見る。もうすぐ30歳になる。なんでもできる、とも思っているし、できないことはたくさんある、とも思っている。楽しいこともあるし悲しいこともある。積み上げてきたものもあるし、バラバラに崩して組み立て直しているものもある。


意味があることなんてなかったかもしれないけど、一つひとつに神経をすり減らしたり感情を揺さぶられたりしながら、とりあえずここまでやってきた

「質量保存の法則」に則れば、失くしてしまったものたちだって形を変えて世界のどこかを漂っている、はずだ。ときどき振り返って、元気?と声をかけてあげればいいのだ。


昔の友達と、くだらない思い出話がしたい。もう顔も声も忘れてしまった人と、記憶の断片をつなぎ合わせて過去を捏造するゲームがしたい。栄養にもお金にもならないことを、精一杯愛でて笑い飛ばしたい。

前にずんずん進んでいくことも必要だし、忘れることで守れるものもある。だけど、忘れられてしまうささやかな“いつか”をきちんと愛でる時間を持てば、少しだけやさしい気持ちで生きていける気がする。

***


一筆箋を挟んだ書類は、明日ポストに入れる。さようなら筆ペンで書いた手紙。さようなら安っぽいトマトソースパスタとチョコレートドーナツの味。さようなら2月7日のタイムライン。


コタツで囲む鍋からふわっと立ち上る冬の匂いも、春になったらきっと忘れてしまう。あと少しで、春が来る。ベランダの真下に桜並木が見えるマンションに引っ越したから、桜が咲いたら思いっきり窓を開けて好きな音楽をかけたいな。

明日もがんばろう。むふふ。

あしたもいい日になりますように!