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価値観と理想。何者にもなれない。

僕は何者にもなれない。

昨日、ずっと寝れなかった。
将来に対する不安、自分が将来どうなりたいのか分からない。
周りがどんな基準で将来に向けて走っているのかすごく気になって仕方がなかった。
考えれば考えるほど、自分の理想が分からない。

自分はずっと何者かでありたいと願って生きてきたと思う。
先ほどサウナに籠もって小学生から大学生までを振り返ってみた。

小学生の頃からずっと、下っ端として過ごしていたことが多かった。
その環境の中で一番イケてるやつと一緒にいることが、自分にとっての安堵であったと思う。
常に周りからの見え方を気にして生きていたんだと思う。
人をラベリングして、あいつはイケてる、イケてないといった具合に判断してその中で自分がどれだけイケてる存在になれるかをずっと気にしていた。

服を好きになったきっかけもそうだ。
周りに聞かれたら「モテたかったから」って答えているけど、そんな単純な考えではなくて、自分におしゃれっていうハッシュタグをつけて、自分の存在を守ろうとしていたんだと思う。

これらのことは多分今も変わっていない。
最初にインターンを始めた時だってそうだ。誰かと比べて「何かをやっている自分」になりたかっただけだし、古着屋も「学生なのに事業を立ち上げている自分」になりたかっただけだ。

そうやって誰かから認められることでしか頑張れない自分がいるんだ。

ずっと分かってた。承認欲求から抜け出せてないことくらい。

でも、承認欲求に駆られて動いている自分はダサいって、
周りをみて思っていたから、「自分は自分を持っているんだ!」
っていう理想を掲げて、自分を言い聞かせてずっと過ごしてた。

だから本当の自分から背を背けていたんだ。

いつだって自分は口ばかりだ。
誰よりも反省しているふりをして、自分が悪いと思っているふりをして、
結局自分が悪いなんて考えてやしないんだ。

こういったことを考えていると、どんどん鬱になる。また負のループに入ってしまう。

なりたい自分を勝手に想像して、でもそんな自分になれなくて、できなくて、勝手に萎えてるんだ。
こうやって自己肯定感を失っていく。

このnoteの写真は昨日病みすぎて、朝明け方5時に缶ビールとタバコを片手に徘徊していた時に撮った写真だ。

周りの草木と比べて、一人だけグングンと伸びるこの植物に、憧れを抱いた。

「俺は一般市民Aになりたくねえ、こうやって一人でも自分を持ってグングン伸びて成長していきたい!」

みたいな感情でこの写真を撮った。

ほらね、何者かになろうとしている。

そんな時に、弊社社長の片石さんのnoteで紹介してあった本を感化されて購入したことを思い出し、読み始めた。

そこにはこんなことが書いてあった。

「理想を掲げるから人間は辛くなる」と。

例えば、

神谷さん(左利きのエレン)みたいなデザイナーになりたい!って考える。
これは理想である。
そして理想がうまく叶わない時、おそらく人間は自分を攻めると思う。
自分のストイックさが足りない、だとか自分が甘ったれてるから、、だとか。

この本では理想を叶えられない自分が悪いのではなく、「理想」そのものが悪いと述べている。

自分は所詮自分だ。何者でもない。
だから、自分とかけ離れた理想を掲げるのではなく、自分に基づいた価値観から自分のやりたいことを見つけるべきだと。

そして自己肯定感などこの世に必要ない、とまで述べている。
自己肯定感とは、「自分はできる人間だ」「自分はこの世界の主人公だ!」と言った具合に、自分を奮い立たせるものとして認識して構わないと思う。

だが、自分はできる人間だ!と思っていると、自分の能力を過信して自分の弱点から目を背けていき、結果的に前に進んでいない、みたいなことになってしまうのだ。

特に自分がそうで、心のどこかでは「自分が最強」と思っているから自分が悪いとか全く考えないし、失敗から学ぼうとしない。環境が悪いんだ。自分が輝ける環境は絶対どこかにあるはずだ!とか。そんな感じで。

だから、自分に自己肯定感など必要ないんだ。
自分ができるできないはファクトで判断して、自分の価値観に基づいた行動を心がけるようにする。

それが、今の自分に一番必要なことだと思う。

じゃあ、自分の価値観ってなんだっけ?って話になるから、それはまた次のnoteで綴ろうと思う。


なんか、今日ですっきりした。

理想ばっか掲げてるから辛いんだ。
これは悲しいことではなくて、地に足をつけるための一歩めだ。

何者かになんてなれないんだ。自分と向き合わなきゃ。

弊社社長の言葉の重みを少し感じることができた今日でした。

おやすみ。


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