オープンキッチンカウンター

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先日、ハワイのMinaさんが、自身を「手元フェチ」と語り、長い付き合いのレイコさんも自分にもそういう感覚があると書いていた。

なるほど、そういうのって周りの人から見たら「フェチ」なのか。
となると、私のオープンキッチン好きも、一種の「フェチ」なのかもしれない、とふと思う。

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↑ベトナムでもガッツリ、カウンターにかぶりつき

20代の頃、ヘビースモーカーであった私は、タバコとコーヒーをこよなく愛していて、ほぼ毎日のようにカフェに通った。
座る席はカウンターが断然良い。
お店の人がコーヒーを淹れる様を眺められるからだ。

カウンターしかない小さな中華料理屋さんも楽しい。
無駄のない動きで、中華鍋の中で食材をくるくる回す。あの動きは見ていて飽きないのだ。

そう言えば、広島にはなくてはならない広島風お好み焼きの店(はい。広島県人です、ワタクシ)も、大きな鉄板を囲む形でカウンター席が設けられている店舗が多い。アッツイ鉄板の前に座り、ジュージューとお好み焼きが焼かれているのを見るのも好きだった。
不器用な私から見たら、カウンターの中の人々の手の動きは素晴らしく器用で、私のようにお好み焼きをひっくり返し損ねるなんてことはあり得ない。

ネパールでは、チヤ(ネパール語でお茶)を作るのを見るが好きで、店先のかまどや、道端の灯油コンロでぐつぐつと煮込まれていくミルクティーを眺めて、チヤの作り方を覚えたものだ。

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そんな見る専門だった私だが、諸事情あり、2年間ポカラでオープンキッチンのカフェをやっていた時期がある(写真)。
オープンキッチンで見せる自信があったわけではない。
資金的、人的な問題があり一人でも回せる店ということで、自然とオープンキッチンとなっただけだ。注文とって、作って、運んで、お会計するまでの全てを一人でこなすとなると、やはりオープンキッチンしかない。

私はケーキやクッキー担当で、基本、店は、たった一人のスタッフに任せていた。焼き物はお客様がいない時に作っておけばいいので、不器用な手元を見られる心配はない。
しかし、スタッフは一人だけ。当然、ランチ休憩も必要で、休日も必要で、時々は私も店に立つことになる。

見るのは楽しいけど、見られるのはキンチョーする。
が、しかし、私のように、キッチンを覗き込むのが趣味というお客様はほとんどいなかった。

席に座ると同時にスマホの画面と睨めっこである。
コーヒーのためのコーヒーではなく、wifiのためにコーヒーを飲むご時世なのか?

ほっとするような、ちょっとガッカリのような複雑な気持ちでコーヒーを淹れたことも今では懐かしい思い出である。

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人は、自分がしていることは当然、他人もしていると思いガチである。
私は小さな頃からカウンターからキッチンを覗くことが好きだったし、自然に品定めしていたと思う。
だから、逆の立場になると、当然品定めされるだろうと思ったのが、意外とそんなことはなかった。

そっか、私とあなたは違うのね。
そして、私が思っているほど、他人は私を見ていない。

な〜んだ。
またもや自意識過剰ちゃんになってた!?

やれやれ。そろそろ卒業したいのだけど、今でも、時々、コイツが不意に顔を出す。

『下手でも、カッコ悪くても、不器用でも、そのままでいいんだよ。そのままがいいんだよ。それもこれも全部味わい!』

他人様にはそうアドバイスするくせに、自分がつまづいているお粗末さ。

まあ、それも私、これも私。

人の目を気にして動けない私が完全にいなくなったわけではないが、時々コイツと格闘しながら進んでいくしかないんだろうな。

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【text by Chikako from Nepal 】

宮本ちか子 瀬戸内海の島で海に囲まれて育つも、なぜか海のないヒマラヤの国ネパール在住。夫も仕事も家財道具も全て捨て、ネパールに移住したのは30歳のとき。ポカラで15年ホテルを経営するが諸々あって、泣く泣くホテルを売却。現在はフリーランスライター、タマラエネルギーワーク、仕入コーディネイト等々。バツイチで結婚は2回、娘が1人、ネパール人配偶者はアーユルヴェーダの治療師。「刺身が食いたい」とつぶやく回数が最近さらに増えてきたアラフィフである。

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