崖っぷち!

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ネパール語どころか、英語もほとんど話せない。
それが、23年前、私がネパールに移住した時の状態だ。

これでネパールで起業しようというのだから、多くの知り合いに反対されたのも無理はない。

4年大学の文学部、英語は第一外国語だったにもかかわらず、日々の生活で使うこともなく、卒業後、必死に暗記した英単語も頭からするすると抜けてしまった30歳。それが当時の私だ。

ネパールに移住したものの、私の周りには日本語を話すネパール人はおらず、片言の英語とボディランゲージでなんとかコミュニケーションを取る日々。
観光客ならそれでもなんとかなるだろうけれど、こちとら起業を目指す身。
なんとかなるわけがない!

ちなみにネパールでは英語は、日本以上に普及している。
私立の学校では小学1年生から、国語の授業以外は英語で書かれた教科書で勉強する。算数も理科も社会も英語でお勉強!
そのために、母国語もままならぬ保育園の年少さんのうちから英語のフォニックスと英単語、あいさつを勉強し始める。(しかも、宿題まで出るのだよ!手伝う親の身になってくれ)

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私立の小学校というと、日本では敷居が高く感じるかもしれないけれど、ここネパールでは、私立の方が公立よりも多い感じ。私立といってもピンキリで、月謝も2000円程度の庶民的な私立から、2万円(ちなみに2万円だと2019年の公務員の初任給を超えている)を越えるものまであり、それぞれの家庭の経済状況によって選ぶことができる。

そんな状況だから、ネパールの30代より若い世代の英語力は、日本人のそれよりも高い。
テレビのニュースも、ネパール語ニュースと英語ニュースが交互に放送されるし、パソコンやスマホのOSは英語だ。英語を話すことの方がおしゃれで知的でカッコイイという風潮もある。ネパール語の間に英語をはさんで会話する若者も多い。

アメリカ人やイギリス人はいい。彼らは、英語だけでほぼ支障なく、仕事をこなすことができる。この国には、英語ができて、かつ職を求めている若者はごまんといる。しかし、それ故に、ネパール語を覚えなくてはという切実な状況にあるアメリカ人やイギリス人は少ない。だからからか、英語が話せる人ほどネパール語が話せない傾向にある。

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幸か不幸か、23年前に移住した時点で、私は英語がほとんどできなかった。
その上、立ち上げたホテルの住み込みのスタッフは、村出身の学歴のない子が多く英語が話せなかったし、英語ができる子たちも、ネパール人同士になると、まず会話はネパール語だ。彼らとうまく付き合うためにも、自分の身を守るためにも、やはりネパール語を覚えないと仕事にならんぞと、現地入りしてから思い知らされた。

そこからの私の努力は、自分でも褒めてあげたいくらいだ。
本当によく頑張った。
日本で購入したネパール語の辞書と文法書を使い、ネパールの小学生3年生の国語(つまりネパール語)の教科書をテキストに、毎日6時間以上をネパール語の勉強に費やした。
いつも勉強セットを持ち歩き、暇さえあれば、語彙を増やすために単語をノートに何回も何回も書いた。
あれほど真剣に勉強したことはないというくらい真剣だった。

できるとかできないとか言ってる場合じゃない。
やるしかない。
大事なのは、そう腹をくくれるかどうかなのかもしれない。

そんなわけで、英語力はあまり変わってないのに、ネパール語に関しては、日上会話程度なら問題ないくらいには上達した。

あれ?
ということは、英語がいまだにできないのは、肝心の覚悟が不足しているってこと?

娘がオーストラリアに留学し、英語を使う機会も増えてきた今日このごろ、今更ながら、毎朝NHKのラジオ英会話に耳を傾けてはいるけれど、まだまだ覚悟が足りないようだ。


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【text by Chikako from Nepal 】

宮本ちか子 瀬戸内海の島で海に囲まれて育つも、なぜか海のないヒマラヤの国ネパール在住。夫も仕事も家財道具も全て捨て、ネパールに移住したのは30歳のとき。ポカラで15年ホテルを経営するが諸々あって、泣く泣くホテルを売却。現在はフリーランスライター、タマラエネルギーワーク、仕入コーディネイト等々。バツイチで結婚は2回、娘が1人、ネパール人配偶者はアーユルヴェーダの治療師。「刺身が食いたい」とつぶやく回数が最近さらに増えてきたアラフィフである。

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