I で My

曖昧さを許すことができたらどんな問題が解決できる?
中途半端、どっちつかず。

完璧主義。完璧がわからないのに完璧主義。

人生という問いにこたえなくては いけないのだろうか。
答えなくても いいのかな。

問うことと、曖昧さを愛すること。

曖昧–答えがない状態。
決めないで良いと思っている状態?
どちらも答えといえる状態
答えを求めることを放棄する状態
印象や感情、feel, X

人生と曖昧さ
存在のあいまいさ

白黒つけたい
はっきりさせたい
グレーゾーンが許せない
なぜ?

人の問いはなぜ生まれる
答えが欲しい
私のなかで一番おおきな問いといえばそれは人生。

「人生という大きな問いに応えようとしてはなりません。
人生の方から答えてくれるように、上手に質問するのです。」

人生というものの定義、
得体のしれないそれを押し進めていく得体のしれない私。
容赦無く流れてゆく時間。

だいじなものなのに、
忘れていくことが許せないから今こうやって問うている。

曖昧さとアート
曖昧さと学問
曖昧さと社会

曖昧さをなくすために発展してきたもの
曖昧さを守るために在り続けているもの

命はどこからきてどこに帰るのか
社会は誰によって作られたものなのか

社会が嫌いなのか、社会の中で生きる自分が嫌いなのか。
社会とは人とのつながりなのか。
人の繋がりが嫌い
自分のことが嫌い。

人生。
人生を、なにか大きな問いに答えることだとして、
それはどんな問いだろうか

人生を理解するということは、
そこになんの意味があるのか
感情的に納得すること


自分が今存在するということは
他人が存在すること

問う
死ぬことをゴールにする人もいる、でも
人生には問いが必要だ
その問いの得体


自分のなにをわかれば自分のことをわかっていると言えるの
何を問えばいい

「人生という大きな問いに、上手に答えようとしてはいけない。
人生の方が答えてくれるように、上手に質問するのです。」

上手に質問する。問う。
問うことでしか人生の答えを発見することはできないの。
「人生という大きな問い」。
人生はなにかしらの答えを持っている?

あったとしてそれって必要?



いつどんな時でも問うことを許されている。
問うてしまった

終わりに向かう気分が漂ってきて
酔って 頭がガクンと落ちた
曖昧でいたい

自他の境界線は、私の中にある?
それとも私の外側にあるかな


さまざまな問いが浮かんでは消え。



人生の意味ってこういうことなんじゃないかな〜?

皆それぞれの考えがあって
わたしにとってのそれが客観的に的外れでも
そうじゃなくても何でもいい

自分のなかのなにかが変われば、
昨日会ったともだちの顔も
今日はまるっきり違う

これはこうだ!と掴んだものをふと手放して
もやもやしていてうまく掴めないのも全然嫌だと思わない
怖くないんだよ

むしろそうである方が、
誰かの体温に触れるよう


とにかく一旦、自分が興味をそそられる問いを
ぐいぐい引き摺り出すような作業の中で気づいた

ああでもないこうでもないと
答えを探していたら
逆になんだか曖昧であることって
なんだか良いな

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