女性の男性選好や社会的志向は社会構造により作られるのか?

所謂「女性らしさ」の議論において、よく唱えられるのが「女性が金持ち男性を好むのは自身が低所得な故にパートナーに所得を求めざるを得ないからである」「女性が××みたいな職業につかないのは"女性がは××すべきではない"という社会通念のせいである」「女性が女性を抑圧し性的規範を作り出すのは男性社会の規範を内面化してしまったからである」といった、女性の男性選好や社会的志向は(旧来の男性的な)性的社会規範に大きくバインドされている…といった理論である。

この理論によれば、当然ながら性的社会規範が薄れる又歩いは男女の機会格差が縮まるごとに、女性の男性選好や社会的志向は別の側面を見せたり多様性が出てくるはずであるが、実際のところ例えば人間開発指数19位/189か国、ジェンダー開発指数51位/166か国、ジェンダー不平等指数23位/162か国という男女平等先進国である日本において女性の(指導的な立場につく)社会進出を主な指数においているジェンダー・ギャップ指数は121位/153か国という成績を収めている。平たく言えば、日本において女性は男女の教育や機会の差が少ないにも関わらず、旧来男性的とされてきた指導的ポジションに従事しない傾向があるということだ。
http://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

(因みにジェンダーギャップ指数は欧米デハー複数の研究や有識者から「測定にはいくつか問題がある」と指摘されており、子供の基礎教育、生活満足度、健康的な寿命などに焦点をあてて計算すれば、むしろ男性の方が差別されている事になるんじゃね?と言われてる。https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0205349)

こういった話は日本に限った事ではなく、国際的にも同様に所謂フェミニスト政策(feminist policies)を行う国家ほど指導的立場につく女性が少ない傾向がみられ、例えば男女平等超先進国である北欧諸国においてジェンダー基準がより平等な国ほど上級管理職の女性の割合が高くない傾向にある事が指摘されている。1例をあげると欧米において男女平等後進国とされる東欧および中央ヨーロッパの民間企業の取締役および最高経営責任者の32%は女性であるが、北欧諸国では13%である。

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http://nordicparadox.se/&usg=ALkJrhi-16igk93AUzy8xBhduH_MtUD_6A

こうした所謂「男女が平等になるほど女性は旧来的な女性像に近づいていく(男女共同参画社会のパラドックス)」議論において必ず言われるのは「従来の指標では測れない何らの男女差別ないし機会格差ないし意識が女性を引き留めている」という理論であるが、これは女性の選好自体が社会進出で果たすと思われる大きな役割を無視している。つまり女性自身が社会進出しない志向を社会的抑圧とは無関係に有している可能性である。

こうした選好は男性志向にも表れているとされている。例えば女性が金持ち男性を志向するのは「自身が低所得な故にパートナーに所得を求めざるを得ないからである」という風に、社会的抑圧ないし構造によるものだという説明がよくされるが、各種の研究や統計では「女性は高所得・高学歴であっても高所得・高学歴の男性を志向する」ことが指摘されている。例えば米国において年間95000ドル(1016万円/1ドル=107円)以上稼いでいる女性の71%は「自分のロマンチックなパートナーには安定した高収入が必要」と信じている事が示唆されている。尚、その所得階層で同じ事をいった男性は14%。
https://www.researchgate.net/publication/282931592_Mating_markets_and_bargaining_hands_Mate_preferences_for_attractiveness_and_resources_in_two_national_US_studies

またプレシデントオンラインが独身男女2000人に対し、結婚相手に求める学歴について「理想ライン」と「妥協ライン」に分けて回答を求めたところ、女性は男性と比して高学歴になればなるほど学歴厨になる傾向が示唆された。男性にも1定のラインまで高学歴ほど学歴厨になる現象がみられるものの、女性ほど顕著ではないようである。

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この「女性は男性に高い地位を求めるが、男性は女性に高い地位を求めない」という志向により、当然ながら高い地位にある女性は自分より下の女性全てがライバルになってしまい繁殖が難しくなってしまう傾向にある。2006年に行われたアメリカの調査によれば、​​高地位の男性は低地位の男性と比較して~18%子供が多いが、高地位の女性は低地位の女性と比べて〜40%子供が少なかったという。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1090513805000619?via%3Dihub

要するに「女性は男女平等になればなるほど旧来言われていた”女性らしい女性”に近づく」傾向が示唆されているということだが、もっと直接的に「男女の性差は男女平等社会になるほど拡大する」ことを示唆する研究もある。

進化心理学者のデビッドシュミットは様々な異なる文化における性差に関する調査をレビューしたところ、性格、セクシュアリティ、態度、感情、行動、認知能力など、ほとんどの心理的特性の性差は平等な性的役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダーの平等を伴う文化で顕著に大きくなる傾向が確認された。また身長、肥満、血圧など、多くの身体的特徴の性差ですら平等主義的性役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダー平等の文化ではより大きくなる傾向があったという。
https://www.researchgate.net/publication/289724723_The_Evolution_of_Culturally-Variable_Sex_Differences_Men_and_Women_Are_Not_Always_Different_but_When_They_AreIt_Appears_Not_to_Result_from_Patriarchy_or_Sex_Role_Socialization

こうした「女性はエンパワメントされればされるほど旧来の女性らしい女性像に近付く」「男女の性差は男女平等社会になるほど拡大する」という事実は、要するに男女云々の話ではなく、単純に「人間は社会的な抑圧や柵から解放されればされるほど野生の獣に近付く」というだけの話だろう。人間の社会性は社会があるからこそ発揮されるものであり、その社会の影響や束縛が小さくなれば社会性なるものを発揮する必要性は乏しくなり、より動物的な選好や志向が顔を出すのは当然の帰結である。その動物的な選好や志向の1側面として「雄らしい雄に惹かれる」「雌らしい雌になる」というのがあるだけだ。そして人類社会は、こうした雄らしさ雌らしさが男女双方に作用する形で作られてきており、その志向や選好も内在化されているのだ。

人間の異性選好や社会的志向は社会規範や構造によって規定されるのではなく、相互に影響しあっている関係だ。人間が本来持っている異性選好や社会的志向によって社会規範や構造が影響を受けないはずはない。その為、より良い社会や未来を志向していくには、人間が動物歩いは動物的側面を持ち合わせている事を加味したうえでの議論や仕組み開発が必要である…と結論して、この記事を終わる事とする。



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