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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #78

  目次

 人体のパーツを細胞単位で分解する。
 約二百七十種もの多彩な細胞のうち、罪業が宿るのはどこか。
 罪人の肉体のうち、どこを残しておけば罪業は保存されるのか。
 罪業に依存する七千年の血塗られた歴程は、数々の切除実験ののち、この疑問に対する回答を得た。
 出所は「複雑性」である。
 特定の部位ではないのだ。
 しいて言うなら命そのものである。考えてみれば当然の話で、細胞の寿命は長いものでも十年程度。細胞が罪業の在りかだというなら、新陳代謝と同時に罪業値は急速に衰えてゆくはずである。
 どれだけ五体が損傷なく残っていても、死体には罪業は宿らない。
 逆に、腕だけを適切な電気信号と養分を与えて生かした代物には罪業が宿り、罪業変換機関も駆動した。
 そして興味深い事実が判明する。
 人体を五等分して、そのすべてに適切な処置をして生かし続けた場合、それぞれの部位の産出罪業量はもちろん減るものの、五分の一にはならなかったのだ。
 それよりもほんのわずかに多いのである。
 この事実は何を意味しているのか? 被害を受けるということ自体が軽い罪だとでも言うのか? 仮にそうだとしても、五体断裂の憂き目にあうことによる「報い」で減る罪業値のほうが遥かに多いはずである。
 この疑問に対する仮説が、「複雑性の原理」である。
 通常、五体を分断された人間が生存するケースなどほとんどありえなかったために、この「世界のバグ」とも言うべき事象は観測されることもなく、人体部品は壊死し、腐敗していった。
 だが、十分な複雑性を帯びた細胞群が生命活動を維持した場合、それは「ひとつの人間」としてカウントされるのである。
 何に?
 その裁定を下しているのは誰だ? 何だ?
 答えはいまのところ得られていない。
 分断された人体部品は、「分断された瞬間に誕生した一人の人間」とカウントされ、切断という「報い」は最初からなかったことにされる。
 切断されなければ産まれ得なかった人間にとって、切断は報いにはなりえないのだ。
 新たに誕生した五人の「人間」は、当然ながら生存に機械的な補助が必要であり、エネルギーを大量に喰い、総和としてはせっかく微増した罪業値も差し引き大幅なマイナスとなってしまう。
 ゆえに、このバグを用いて産出罪業量を増殖させようという試みはことごとく失敗に終わった。
 だが。
 ――一人の男がいた。
 彼は「青き血脈」に連なる美しい娘に見初められ、将来を誓い合い、互いに殺し合うことで真実の愛を証明し合おうと固い約束を交わした。
 彼は真実その娘を愛していたが、しかしもっともっと彼女を美しく輝かしく崇敬される存在に昇華することを夢見てもいた。
 ――まずご両親への愛を証明しよう。それから子供を作ろう。子供への愛も証明しよう。最後に僕たち自身の愛を証明しよう。君はそのすべての愛を得るべき女なんだ。美しい人。
 娘は、頬を染めながら頷いた。
 これから自分がいかなる存在と化すかも知らず。

【続く】

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