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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #32

  目次

 〈無限蛇〉の生産能力を〈法務院〉が独占しているこの世界において、「値段を付けて売られている食料」はすべて違法品である。
 正規の食糧は役所で配給券と引き換えに渡されるものだけだ。それ以外の形態で提供されているということは、下層民が独自の手段で生産した食料ということであり、発覚すれば重い罪となる。無論、これは「法的な罪」であって、「感情的に忌避される罪業」ではないため、罪業変換機関の燃料にはならない。
 であるにもかかわらず――
「すごいな」
 ――闇市には雑多な商品が並べられ、人だかりで前が見えないほどの盛況ぶりであった。
「はぐれんなよ、爺さん」
 ゼグがこちらの肩を叩いてどんどん前に進んでゆく。
 アーカロトはその背中を追いながらも、きょろきょろと周囲に目が行った。
 肉、と思しきものが吊り下げられて値札をつけられている。
 茶色の粉末が密閉容器に入れられて陳列されている。
 植物の葉っぱに見えなくもない暗緑色の干物が籠の上に無造作に積み上げられている。
「驚いたな。〈無限蛇〉の物質変換機能に頼らずに、どうやって食料を生産しているんだ」
「機動牢獄の人工筋肉を培養したり、空気と微生物を電気分解して食えなくもない粉を作ったり、機械油を糖分に変えるバクテリアを利用したり――まぁいろいろだな」
「すごいものだ。これなら〈法務院〉に頭を下げなくても生きていけるんじゃないか」
「そりゃ理屈はそうだがよ、まっじぃんだよ、ここで売られている食い物って。いや、食い物じゃねえな。食うこともできるゴミって感じだ」
 市民ID持ちだった暗い目の男の記憶には、こういう下層民のアンダーグラウンドな暮らしぶりの情報はほとんど含まれていなかった。
 活発に取引や交渉を繰り返す無数の人々。歓声、怒声、嬌声。音と匂いと人いきれの洪水。
 どのような世界であっても、人はたくましく抜け道を探し、生きてゆく。
 アーカロトは穏やかに目を細めた。
「シアラも連れてきたかったな」
「そりゃおススメしねえよ」
 ゼグは皮肉気な笑みで顔の火傷を引き攣らせた。
 その指が差す方向には――どう見ても人間の脚とおぼしきものが吊り下げられて売られている。
「無菌室のお姫様にゃ刺激が強すぎらぁ」
「……やはりそうなるか」
 まともに生き残っている唯一の動物がホモ・サピエンスのみである以上、それは必然の結果であった。
 だが、あまり店は繁盛していないようだ。
「人肉食いすぎたら脳みそが穴だらけになってくたばるからな。あんなもんに頼らなきゃならなくなったらそりゃ「とっとと自殺しとけ」と俺ならアドバイスするね」
 それでもこうして普通に販売されている理由。
 恐らく――他の食糧自給に比べれば、人肉の加工・流通は〈法務院〉に寛容に許されているのではなかろうか。同族喰らいは人類が根源的に忌避する罪業だ。
「……ゼグ、君は幸福かい?」
「久々に聞いたわ、その胡散臭い単語」
 彼が憎む老婆そっくりな笑みを浮かべながら、少年はどんどん先に進んでゆく。

【続く】

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