かいぶつのうまれたひ #27
つまさき。
鳩尾にめり込むものの正体は、それだった。
篤は自らの体を見下ろし、血の混じった胃液をグラシャラボラス。
不意に手足が言うことを聞かなくなり、尻餅をつくように崩れ落ちた。
……超反応クロスカウンター。
タグトゥマダークは、突進してくる篤の鳩尾へ、神速の前蹴りを叩き込んでいた。
バス停による斬撃ではないとはいえ、内力操作によって強化された脚力と、篤の踏み込みの勢いが合わされば、致命的な威力となる。
――天才的。
篤の破城鎚じみた一撃もしっかり決まっているので、相打ちではあるが……
――天才的、戦闘感覚。
パニックを起こし、痙攣するばかりの呼吸器系。酸素を取り込まない肺を早々に見限り、篤は敵へと視線を向けた。
ただそれだけの動作にも、体中が軋みを上げた。
タグトゥマダークもまた、言うことを聞かない手足を奮い立たせ、体を起こそうとしている。
「ぎ、ハ、はは……くき……キキケけケ……」
喉を鳴らして、タグトゥマダークが呻く。
「苦手……なんだよニャア……キミみたいな……タイプ……くキッ」
口の端から深紅の筋を垂らしながら、笑う。
ホームビデオを見て笑っているようにも、恋人の惨殺死体を見て笑っているようにも見えた。
「常識的な反応、してくれニャいんだよニャア……」
ゆっくりと、立ち上がる。
生ける屍のごとく立ち上がる。
黒紫の〈BUS〉波動が、周囲の空間を揺らめかせる。
「だから一撃もらっちゃったニャン……ふ、ひ……ひはっ」
天を振り仰ぎ、断末魔の震えにも似た哄笑をあげた。聞いただけで気分の滅入るような、虚無的な笑いだった。
攻撃を受けた胸板がブスブスと煙を上げ、スーツが裂けている。
そして、首からは紐がぶら下がっていた。恐らく、お守りか何かを首から下げていたのだろう。しかし紐は途中から炭化しており、何が下げられていたのかはもうわからない。
「ひはは……もらっちゃった……もらっちゃったニャン……ははっ……は……」
ひとしきり笑うと、篤を見る。
何の感情も感じ取れない、石のような眼差しだった。
「……血ゲロ吐き散らして死ね、タンカス野郎」
特に声を荒げることもなく。
当然の決定事項であるかのように、そう呟いた。
「――ご、ガッ!?」
喉が、塞がれた。
馬蹄のように踏み下ろされたタグトゥマダークの踵が、篤の喉笛を踏みにじった。
「死ね。悶えて死ね。死に腐れ」
英単語を暗唱する時のような抑揚のない口調。
足が振り下ろされるたびに、篤の全身が痙攣する。
豹変。
危ういまでに激しい、感情の起伏。
――あぁ。
篤は眼を見開く。
――似ているな。
自分の中にも、このような激しい気性の渦がある。
かつて、ゾンネルダークとの闘いで、その片鱗を表に出してしまったことがある。
妹の霧華が大きな怪我を負い、その犯人がゾンネルダークだと知った時、篤は自分の中の獣を御しきれなくなったものだ。
――恥ずべきことだ。
真に憎むべきは、そうした事態を許した、己の不甲斐なさだというのに。
だからこそ。
――強く、なりたかった。
この裡なる修羅を、永遠に飼い殺していられるほどに強く。
タグトゥマダークを見る。
ひときわ高く足を振り上げ、全体重を乗せて踏み下ろそうとしていた。
――この男もまた、裡なる修羅を持て余しているのか……
このとき懐いた想いは、あるいは共感であったかもしれない。
篤の喉が踏み砕かれる、その瞬間。
「――夢月ちゃんは」
涼しげな声。
しかし、同時に痛ましげな声。
こつ、こつ、と快い足音が、やけに殷々と響いてきた。
桜の香りが肌を撫でていった。
「元気、なのかな……?」
そう言って、ふわりと微笑む。
目尻に悲しみを織り込ませながら。
「ッ!?」
タグトゥマダークの反応は、劇的だった。
一足で五メートルは飛び退り、闖入者を見やった。
霧沙希藍浬。
春の世界を纏う少女。
一瞬だけ、彼女は傷だらけで横たわる篤を見やる。
何かに耐えるように目を伏せ、唇の動きで「ごめんなさい」と呟いた。
「なんで……その名を知ってるニャン……」
警戒に満ちた眼差しで、タグトゥマダークは藍浬を睨む。
彼女は胸に手を当て、哀切に満ちた微笑を浮かべた。そこに仕舞われる記憶を、いとおしむように。
「忘れないわ。大事なお友達だもの」
「何を……!」
藍浬は微かに首をかしげた。眉尻が、困ったように下げられている。
「覚えてない、かな? あのころはちっちゃかったし、髪の色も違ったもんね」
何秒かの凝視ののち、タグトゥマダークの顔に理解の色が広がってゆく。息を呑む。
「……まさか……いや、そんな馬鹿ニャ……」
明らかに、何かを思い出していた。
藍浬は顔をほんのり寂しげに綻ばせる。
「ひさしぶり。辰お兄ちゃん」
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