第二次オブスキュア侵攻
死のごとき静寂に包まれ、地獄がそこに顕れていた。
青白い鬼火めいた眼光が、周囲に無数に浮かび上がっている。
ギデオン・ダーバーヴィルズは、自らが作り上げた死霊の軍勢の威容を、しかし憎しみを込めて睥睨した。
オークがいた。ゴブリンがいた。リザードマンがいた。トロールがいた。ビーストマンがいた。オーガがいた。
魔狼に多頭蛇に屍食鳥、単眼巨人、人面虎、魔眼竜、牛頭鬼などなど、〈化外の地〉の穢れの化身ともいうべき厭わしい怪物どもも集っている。
視界一面、異形の魔物どもがしわぶきひとつ立てずひしめき合っていた。
通常、これほど多種多様な異種族が一か所に集められれば、そこはたちまち阿鼻叫喚の血の宴が繰り広げられるはずである。
だが――現在、ギデオンの周囲には冷たい静寂だけがあった。
それもそのはず、異形の軍勢は、幽鬼王の暗黒の魔力によってことごとくアンデッド化していたのだから。
生気もなく、意志もなく、怒りもなく。
ただ主人より命令が来ないがために、彼らは不気味な沈黙を守っているのだ。もはや姿かたちが生き物に似ているだけで、これらはすでに生物種ではなく、現象と呼ぶべきであった。数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの膨大な大軍勢であり、実際ギデオンもその総数を把握などしていない。恐らくは、最低でも五万はいるはずだ。一国を滅ぼす厄災として恐れられる幽鬼王の、これが真価であった。
軍団として見た場合、中核となるのはやはりアンデッドオークである。群を抜いた環境適応力と増殖力によって、〈化外の地〉で最も栄華を極める亜人種であり、その屈強さと数の多さから不死軍団の主力歩兵部隊を構成する。この中にはちらほらとアンデッドリザードマンやアンデッドビーストマンも混じっていた。
中には、腐肉が完全に削げ落ち、白骨化した集団も存在していた。スケルトンオーク。人族のものより獰猛で歪な造形の骨格は、どこか滑稽な印象を与える。その手には、木製の簡素な弓が握られていた。背中と腰に大量の矢束を括りつけている。通常のアンデッドよりも幽鬼王の闇の魔力への依存率が高く、ギデオンが健在な限りは破壊されようとひとりでに元の姿を復元してしまう。しかし肉がすべて落ちている分、体重が哀しいほど軽く、白兵戦ではあまり役に立たない。散兵として主力の前に陣取らせるつもりである。
歩兵部隊の左右には、アンデッド魔狼に騎乗したアンデッドオークの騎兵部隊がいた。しかし彼らには通常の騎兵のような、敵陣の後背に回り込むなどの意図をもって運用するつもりはない。包囲殲滅などギデオンの目的からは大きく外れた愚行だ。
そして主力歩兵の後ろには、大型の亜人種や魔獣らによる予備戦力が控えている。彼らの強大な戦闘能力は、軽はずみには投入できない。歩兵部隊が突破されそうな箇所に、補強を行うように向かわせるつもりである。今はオークどもの集落から強奪してきた武具と油を満載に詰んだ車を牽く役目を与えていた。
これら諸部隊は密集こそしているものの、方形陣などは組んでおらず、本当にただ集まっているだけである。
これより攻め込む戦場は深き太古の森。そもそも陣形など維持していてはまともに移動すらできない。ゆえにギデオンは、眷族たちを液状の集団として動かすつもりであった。常命の生物ならば命令が行き届かず、落伍者が続出する暴挙であったが、自らの意志などなくギデオンの思うがままに動くアンデッドならば特に問題はない。
問題があるとするならば――異界の英雄どもであろう。
特に黒髪の大柄な人族の戦闘能力は想像を絶していた。奴が前に出てくれば、こんな腐肉の塊どもなど一瞬で蹴散らされるだけであろう。だが、それで問題ない。
ギデオンは、自らが騎乗する魔獣を蹴りつけた。すぐにアンデッド化した混沌飛竜が腐臭に満ちた翼を拡げ、力強く羽ばたく。
闇の瘴気を振りまきながら、死霊の軍勢はおぞましいほどの静寂のもとで進軍を開始した。
●
ケリオス・ロンサールは、地平線を黒く染める禍々しき軍団を目の当たりにしたとき、まぎれもなく終末を確信した。
「……なんたる……」
もうすぐ千年にも及ぼうかという永すぎる生涯の中でも、これほど大量のアンデッドを目にしたことなど一度もない。
理を歪める瘴気の発生源が、あまりにも大量に密集しているがために、背後の空間が陽炎のごとく揺らいでいた。
この世の終わり。かつて地上世界を流血と渾沌の最中に叩き込んだ〈暁闇の時代〉の、それは再来を思わせる黙示録的光景であった。
「すぐに各都へ報せをッ!」
「は、はいっ!」
年若い騎士を使いにやると、ケリオスは砦樹に詰めている平民たちに号令を発し、非常事態を宣言した。
動員可能戦力は、勇敢な平民の志願兵が二千強。騎士が約五百名。全員が砦樹に詰めていたわけではないが、〈聖樹の門〉によってすぐに駆けつけてくるだろう。
これに対し、敵兵力はざっと見て数万はいる。しかも、そのすべてが士気崩壊を起こさないアンデッドだ。本来ならば絶望しかない戦力差である。
「総員、配置につくべし! 〈鉄仮面〉の襲来である! 蟇目鏑を番えよ!」
命じながら、ケリオスは忸怩たる渋面である。平民を戦に駆り出すなど、騎士として恥ずべき醜態だ。
だが、異界の英雄たるソーチャンどのがもたらした、蟇目鏑と呼ばれる特殊な矢の存在が、平民の軍事的有用性をまざまざとケリオスに理解させてしまった。
四つの穴が開いた鏃が空気を受けて、鳥の聲のごとき澄んだ音を放つ。これが一種の呪文のような働きをなし、浄化の聖炎を矢に纏わせるのだ。不浄なるアンデッドを瞬時に焼き滅ぼすであろう神威の顕現に、ケリオスも納得するしかなかった。ことアンデッドを相手取る際に限り、平民も重要な戦力になりうるのである。
近くの〈聖樹の門〉から続々と弓をたずさえた平民たちがやってきて、砦樹に上ってきた。配置についたものから弓を構えてゆく。その顔には畏れと緊張が漲っていた。
――だが、これは今回限りの特例だ。
古き伝統と信仰に生きる騎士の中の騎士たるケリオスにとって、矢面に平民が立つなど今でも承服しがたい。
蟇目鏑とて、ソーチャンどのがいなければ霊力を発揮しないからこそ、その利用を呑んだのだ。彼がこの世界を去った後も技術として定着してしまう類のものであったら、ケリオスは断固として拒否していたことだろう。
「まだ射るでない! もっと引き付けよ!」
死霊の軍勢は、粛々と葬列のごとく歩みを進める。
最前列にはスケルトンオークの弓兵が陣取っていた。虚ろなる眼窩の中に不浄の幻炎を宿し、弓を構えた。
「今だ! 放てェー!!」
横に並ぶ砦樹から、一斉に光箭の群れが飛び立った。それらは甲高い祓いの音を鳴らしながら、聖なる焔による光の尾を曳き、雨のごとく敵陣に降り注ぐ。〈化外の地〉の空に、優美なる光の弧が無数に描かれる。超遠距離の曲射だ。
ほぼすべてが命中。俊敏な森の禽獣を日常的に狩り続けるエルフたちの、入神の弓技であった。形状ゆえに刺さりはしないものの、触れただけで浄化の炎はアンデッドオークに燃え移り、その身に注がれた闇の呪力を解呪しはじめる。
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