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宿も取らずに初海外に行ってみた - ダイアナ妃国葬の前夜、ロンドン市警に怒られた話し

2020/09/08(木)、エリザベス女王が亡くなった。御年96歳だった。冥福をお祈りする(日本時間は09/09)。


初の海外旅行、ダイアナ妃葬儀前日のロンドンにいた。


エリザベス女王の中継を見ていたら「あの空気感」を思い出したので、簡単に残しておく。当時は、ブログを書いていなかったからデジタルの記録はない。mixiはやっていたが書いた記憶がない。

普段は昔話は書かない。「雰囲気に酔う」と書けるテーマな気がした。すぐに引き出せる記録がないので、記憶が頼りだ。古いアルバムを引っ張り出して見るのは、野暮だから無しだ。


ロンドン滞在2日目だった。その夜、エジバラ行きの寝台車で深夜に出発する手筈だった。ウエストミンスター寺院の街頭は、翌日の葬列を見ようとする人びとが埋め尽くしていた。いわゆる「徹夜組」というヤツだ。

格安航空券の手配をした時に葬儀の事実、日程は認識していなかった。たまたまだった。

初海外の初日はシャルル・ド・ゴール空港、フランスのパリに入ってからロンドンに向かった。格安航空券を買いに行った時、希望のヨーロッパの入りと出が取れなかったからだ。パリからロンドン区間は地上移動して何とかするコトにして、パリ入りの航空券で妥協した。

当時は優れた予約サイトはあまりなく頼めば何とかしてくれると噂に聞いたH.I.S.の旗艦店、新宿本店に行って手配した。カウンターに張り付いて何度もルートを調べてもらい香港経由のキャセイパシフィックを手配した。その時、ユーレイルパスとブリティッシュレイルパスも併せて手配した。基本的には、鉄道の旅だ。気ままに過ごす旅だったので、宿の手配はなし、ユースホステルの会員にはなっておいた。

行き帰りの航空券とイギリスとヨーロッパ各国で使える鉄道パスだけで宿の予約はない3週間の旅の完成だ。果たして、辿り着けるのだろうか。

パリからロンドンの移動は、ユーロスターに乗った。パスがあったから、大きな追加出費はなかった気がする。空港からパリのガル・ド・ノール駅(北駅)まで移動して、欧州新幹線の人になった。日本の新幹線とは違い高架でなく地上を走っていたのが、印象に残った。

無鉄砲な旅は宿の予約はゼロだった。全て現地調達だった。

ロンドンに着いて確か「地球の歩き方」を頼りに、ドミトリーの宿を探した。何とか見つけた宿は男女同室の6人部屋のドミトリーだった。部屋には2人の女性バックパッカーがいた。こちらの存在を気にしないかのように、トップレスになって着替えを始めた。

思い返すと欧米の文化の違いを肌で感じた初めての体験だったのかもしれない。それから、何度か目にした光景だ。

荷物を置いて街に出たろうか。1日目だったか2日目だったか判然としないが、有名な名所旧跡に加えて、ロンドンの金融街「シティ」をブラついた。映画か漫画か忘れたが、その舞台になっていたからだ。何となく緊張感のある空気が流れていた。マックだか、バーガーキングだかに行って空腹を満たした。


北からイギリスを回ろうと考えた。出発前に決めたのか前日決めたのか当日決めたのか覚えていないが、次の目的地は「エジンバラ」だ。映画「ブレイブハート」の影響はあったかもしれない。ただ、スコットランドに行きたかった。

寝台車は24:00少し前に出発する、正確な時間は23:55だった記憶だ。しっかり寝て丸一日ロンドンを歩き回った。3週間の旅で荷物は多少重かったが、何故かコインロッカーを使わずに、全て担いで回っていた。体力だけはあったからかもしれない。

テムズ川のほとりがとても心地よかった。橋を渡って行ったり来たりしたが、何度も川岸に出ては眺めた印象だ。タワーブリッジとロンドン塔の眺めはとにかく鮮明に覚えている。


そろそろ「エジンバラ」行きの寝台車の時間が迫ってきた。2日間のロンドンで気に入った場所だったか、ライトアップされたビッグベンを眺めていた。ビッグベンと葬儀のあるウエストミンスターは目と鼻の先だ。少しずつ人が集まってきているところだった。

ずっと歩き回って疲れたので、ビッグベンの麓でバックパックを下ろして、少し休憩した。ビッグベンを見上げて写真を撮っていたら、ウエストミンスターとビッグベンが入った夜景を撮りたくなってきた。構図を決めようと、荷物を置いて、葬儀の場所取りに向かう人の波と逆方向に歩いていたら、事件が起こった。

大きな声で誰かを呼んでいる警察官がいた。

最初は状況が掴めなかったが、まっすぐ自分の方に歩いているではないか。

「!?」

どうやら大きな声で呼ばれていたのは自分だと気がついた。初海外の1都市目で、まさか警察のご厄介になるとは…。悪いコトをした認識はないが、歩みを止めて、走り寄ってくる警察官の到着を待った。なかなか緊迫の場面だ。時間がゆっくり進んでいた気がする。

やっと何を言っているのか分かった。警察官が指差して言った「あれは、君の荷物か?」と。

指の先には、自分が背負っていた大きめのバックパックがあった。

「そうだ」と答えると「ピックアップしてくれ」という注意だった。少し話すと、どうやら警備の一環で爆弾テロを警戒しているとコトだった。はっきりと「ボム」と言っていたのを覚えている。

ツーリストでビッグベンの写真を撮ろうとして少し荷物から離れただけであるコト、これからエジンバラに寝台で行くコトなど簡単に話して、バックパックをピックアップした。パスポートは見せたろうか、身体検査や荷物の確認などはなかった。

初海外、まさか、爆弾疑惑でロンドン市警に怒られるコトになろうとは。

その記憶があまりに鮮烈でその後のコトは朧げだが、無事にエジンバラ行きの始発駅に辿り着き、かなり揺れる電車だったがぐっすり寝てエジンバラに無事着いた。霧雨が降っていて、とても寒かった。

エジンバラの広場では、オーロラビジョンが設置されていて、ダイアナ妃の国葬の模様がライブ中継されていた。テロップまで覚えていないが、多分BBCの放送だ。

毎回宿の心配はあったが気の向くままに移動した。イギリスで約2週間、ホバークラフトでドーバー海峡を渡って、パリで数日、そこからまた寝台車でローマに行き数日、日本に帰宅した。本当に宿がなくて、公園で野宿した日もあったが、幸い事件事故はなかった。

その後、アメリカでもパトカーに止められご厄介になるのだが、その話しはまたいずれ。

それから何度も海外を旅した。結果、五大陸には全て上陸を果たせた。メキシコではかなり辛い経験もしたw

今、振り返ってみると海外旅行のセオリーをまるっきり無視したような旅だった気がする。根底にあるのは、日本中をバイクで放浪していた経験だと思う。それこそ、橋の下でキャンプなど当たり前だった。方角と帰る日だけ決めて良く出かけていた。その時の養われた感覚があったから、何とかなったと思う。

もうそんな無鉄砲なコトはしないが、また何も決めずフラッと海外に行ってみたい。

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