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化学物質過敏症の障害受容とは

私も化学物質過敏症が一番、重症化した時は、重症化した原因に関わる人達を随分恨みました。
可能であれば訴訟だってしたいぐらいです。
なので、今、重症化したばかりの人が頭にカ~ッと血が昇っていて、ツイートしているのを見て、気持ちは解ります。
でも、私の場合、子ども2人がまだ小さく、これから教育にお金が要る状態で、諦めざるを得ませんでした。
それに、シックスクール調整で訴訟どころではありません。
こういう、障害者になったばかりの頃の無念な気持ちは乗り越えるのに、年単位でかかります。
障害の受容とは、そうやって、社会を恨み、家族あるいは教師、医師を恨み、恨み疲れて、どうにもならない自分の障害や病気を受け入れざるを得ない状態を経た先にあります。
その途中でもがいている人には、温かい目で見るだけです。
愚痴も聞きます。
でも、訴訟に協力まではできません。
特に、化学物質過敏症の場合、私は化学が専門ですから、まず望みはない、というのは早いうちに解る場合もあります。
頭にカ~ッと来ている患者を仲間として見守りますが、してあげられることはないのです。
冷たいと思われるかもしれません。
でも、頭の整理ができたら、また同じ病気の仲間として、一緒に残りの人生を楽しみたいなとは考えています。
(なんか、聴覚障害のくらげさんの名文に似た感じになりましたが、くらげさんの障害受容の文章が一番、府に落ちたので、その流れで書かせて頂きました。)

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