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来年の春は、晴れて花見をしようじゃないか

 昨日、10時を過ぎて、そろそろ病院にいこうかとしていたころあい。

 夫から、メール。

 仕事中、こんな時間にメールしてくるひとじゃない。なにごとかとおもったらただひとこと。

 志村けんが死んだ。

 と。

 

 まず感じたのは、よほどショックだったんだろうな、と。

 それから、呼吸困難で入院して、人工心肺に繋がれて、年齢と、新型コロナの尋常じゃない進行の速さを考えると、たぶんダメだろうと予想していたけど、そのとおりだったな、と。

 で、もう病院にいかなきゃいけないんだから、泣けないよ……と。

 

 だけど、これはアカン。いまちゃんと泣いとかんと、あとでコタえるヤツや……と思いなおし、突き上げるしょうどうのまま、ひとこえだけ嗚咽した。

 それでとまった。
 ふつーのかおで病院に行けたし、ふつーにスーパーで買い物もできた。

 

 いや、ぎゃくに。腹がすわった。

 ひとたび新型コロナがとりつけば、どれだけすみやかに身内を奪っていくことか、よくわかった。

 敵の正体がみえたんだな。
 無駄な不安も消えたらしい。たぶん。

 たたかいかたもわかった。
 とにかく、ヤツラを寄せ付けないことだ。
 たぶん自分は大丈夫だし!、だなんて自信、根拠なさすぎることを痛感。国民的お笑い芸人にすら遠慮はしないのだから、あすは我が身、我が父母、だ。

 

・◇・◇・◇・

 

 手洗い、手洗い、手洗い、手洗い……徹底的な手洗い。

 市役所でトイレを借りたとき、手洗い場で職員ふたりが鬼気迫る様相で時間をかけて手洗いしててこわくて手を洗いにゆくのを躊躇してしまうほどだったんだけど、とにかくあれをまねなきゃいけないんだ。あの手洗いは、市民を新型コロナから守る、たたかいの手洗いだったんだ。
 だからわれらも、まずは、手洗い。それにつきる。

 

 それと、可能な限りの人混みの回避。

 だってヤツラは人を媒介してやってくるのだ。媒介するのがネズミなら皆殺しにすればいいが、人はそうはいかない。だから当面、お互いがお互いを避けるしかないのだ。人間はまだどこでもドアを開発してないが、ヤツラとてどこでもドアはもってない。だから、どんな唾飛ばし名人が唾ごとウィルスを飛ばしても、越えられない距離は越えられない。
 距離こそが私たちをまもってくれるバリアなんだ。

 

 で。

 そうやって、まずは自分が生き延びて、
 大切なひとの命もまもって、

 みんなそろって、
 来年こそは、晴れ晴れとした気持ちで花見をしよう。

 

 来年こそは、
 あのバカ殿様のように、ハメをはずしてはしゃぎまわろう。
 すきなだけハグしよう。
 エンドレスでおしゃべりしよう。
 (ただし、殿みたいなセクハラは禁止!)

 これからは毎年、桜の季節になったらみんなの大好きなあの人の命日がめぐってくるんだよ。
 ぜったいに、その日はにぎやかにむかえたいじゃん!

 

 こんな悲痛なニュースのあった日でも、春はかわらず美しい。花見客を追い返す通行止めのロープを張られても、桜の姿のゆかしさには微塵の影響もなかった。人界の悲喜劇に左右されない自然の運行、それを、残酷である、というひともいるけど、人間が自重して、かしこくふるまって一年を通せば、必ず満開の花というご褒美をくれる、それも自然の摂理だ。

 

  

 あ、……もうアカン。
 やっぱり涙がとまらんなった。

 アンタを慕って泣いてるみんなに、ただひとこと、

 大丈夫だぁ~♪

 とあの調子で笑わせにきてくれよ。

 
 
 

#生きる #新型コロナウィルス #志村けん #桜 #花見 #エッセイ #日記 #決意 #ひとりごと #春

いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。