noteではこんな記事が読みたいんです。《140字以上のnoteことはじめ 》
私がわざわざnoteで読みたいのは、こんな記事です。
大事なこと、肝心なことを書いてある、という以上のことはよくわからないけど、わからないことはわからないとして、ひらめきと得心が来るまで大切に一時棚上げしておくような。
あるいは、こんな記事です。
記事中にある《ゆで卵の最適なゆで時間をもとめる公式》のような、謎すぎて一生頭から離れそうにない未知との遭遇があるような。
棚橋弘季さんはこの記事の最初に、
(フォロワーが)10,000ずつ増えるたびに思うだけれど、何を期待してフォローしてくれるのか、わからないくらい、難解な内容なこのnoteにもかかわらず、本当にうれしいなと思う。フォロワーのみなさんに感謝。
と述べておられるけど、きっとフォロワーのみなさんは、棚橋さんの「難解な内容」を読みながら、想像もしたことないような未知の世界と遭遇し、一生ものの謎や疑問と出会えるかもしれないのが、もしくは一生ものの謎や疑問を解くヒントがもらえるかもしれないのが、たのしくてたまらないのだと思います。
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自分の書く記事もそうだけど、インターネット上で流通する情報は、とかく、即答で答えを教えがちです。性急に答えを求めるからこそググる、というのは確かにあるけど、でも、知への興味ってそれだけじゃない。
いまは知識も経験も至ってなくてわからないけど、いつかは必ず答えにたどり着きたい、と思えるような一生ものの謎や疑問に出会い、保ち続ける。
これは、即座に答えを知ること以上にわくわくすることです。
そして、一生かけてでも解きたい謎や疑問をひとつでもたくさん脳のなかに一時棚上げして蓄えている人生は、なによりも豊かだと思います。
例えばどこかのニュースサイトや雑誌の電子版とかブログサイトでなく、わざわざnoteを読む。
その意味はどこにあるのだろう、と自問自答するときがあります。
答えでなく、
一生かけて答えを解きたくなる謎や疑問が見つかるかも。
それだけ、noteでは、かわされている議論が熱く、深いです。
もしくは、
一生ものの謎や疑問に取り組むさまを
リアルタイムで見せてくれるひとがいる。
そう、示されるのが結論でなくリアルタイムの過程であるところが、さすが、インターネットです。
読めば読むほど謎が増え、探究の過程を共有できる。
noteならではの魅力は、ここにあるのではないかと思います。
《140字のnoteことはじめ 》のマガジンもあります。
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。