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【140字の日記】

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日々の情感の徒然書きです。
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2019年5月の記事一覧

4月、子どもには生理が来たのに、もしかして閉経……と落ち込んでいたら、平成も残りあと2時間というギリギリにお出ましになりひと安心。来るたびに嫌だった生理が、いまやアイデンティティにびっくりするほど食い込んでいました。免許返納したくない高齢者の気持ちも、こんな感じなんでしょうね……

義父宅の裏の竹藪、見逃していたたけのこが2メートル越してる、ヤバイ……と思ってたら、てっぺんの80センチくらいがボキッ!っと折られて、庭の真ん中にゴロン、とKO負けしたボクサーみたいに転がってました。さらにつぶさに見ると、庭の隅には成敗されたたけのこが死屍累々。Gさん、強ぇェ……

ベランダから藪を見ていて、オレ史上最大の野イチゴ発見。おもわずドン引きするくらい草木深い春の小道をかきわけ、万緑叢中の紅一点をゲット!人が暮らしてそこを歩けば藪に道ができ、人の暮らせる場となり、歩かなくなれば藪に返ります。もの言わずして僕の後ろに道を成さしめた野イチゴ、すげーぞ!

倒れたとき、「子どもを笑顔にできるようになる」を目標に回復していこう、と主治医と決めました。が、子どもが親離れしはじめたので、目標も子離れをせまられ、元気になる理由を見失っていました。だけど先日、1年待ってやっと新しい目標が生まれました。「経済的に家族を支えらるようになる」です。

noteを読むのが精神的に重く、いい!と思ってもスキすらも打てない日が続いています。はじめは「もと通り」になろうと抗ってましたが、いまはレッセフェールです。「できない」のも心身の何らかのサインであるのは間違いななく、「できる」になれば心身は勝手に動きます。時を待つしかありません。

ガチンコの記事を読むのにエネルギーが要するのは当たり前です。が、それにスキを打つのにも、同じだけエネルギーが要るとは知りませんでした。エネルギー不足で「スキ」という意思表示すらできないのは苦しいものです。だから、さらっと読んでさらっとスキができる記事には、安堵と感謝をおぼえます。

生まれてこのかた13年、子どもが四角いピアノに「アップライト」という名前があるのを知らなかった、ということが、今日発覚しました。興味がないから、名前は気にならなかったそうです。 興味がないものに対して、漠然とひとくくりでおわって、名前すらどうでもいい……って、なんだかこわいです。

竹と同じ背丈になったたけのこが脱皮しはじめる頃、すがれた竹の葉が五月の嵐にあおられて、いっせいにふぶき、横に流れながら、あかねの群れのように空を舞いうずめる日があります。今日がその日でした。
ついついベランダでぼーっとして、つぎの大風を待っていました。いくらでもぼーっと待てます。

今日も子どもがお母様のことを「ウチのペット〜、カワ(・∀・)イイ!!」と頭をなでなでするので、飼い主の責務を自覚させようと思い「にゃ〜にゃ〜、ごはんちょうだ〜い(ΦωΦ)」とかえしたら、「はいはい、自分で作れるようにいまから練習しましょーねー(^o^)」……こんな飼い主はいらん!

ひさしぶりにあたりが水色に薄明るい時間に目が覚めました。これでもかというくらい鳥の声があふれていることに、季節の移り変わりを感じます。
思い切り、鳴きたいだけ鳴き交わしたか、いま、潮が引くように静かになってきました。が、まだ何羽かはごきげんでさえずっています。以上、中継でした。

昨日、子どもが学校をズル休みしました。年に1、2回は来る恒例行事なので、次の日は大丈夫、とわかってはいても、「明日も行きたがらなかったら……」「このまま休みグセが……」と取りこし苦労するのも毎度のこと。でも「しんどいから休養する」という当たり前ことに親が気をもむ、ってのも変です。

「おまえカワイイからペットにしてやる(≧▽≦)!」と、今日もお母様をペットにしたうちの子ども、「よしよし、ごはんを食べなさ〜い」と言ったくせに、間髪入れず「自分で作って食べなさ〜い(^^)」に修正。まだまだ「お母さんは作る人で、アタシは食べる人」という関係に安住したいみたいです。

メンタルの病気には日光がいいというので、去年の11月くらいから毎日、ベランダでひなたぼっこしてました。でも、桜が散るとさすがに日差しもキツイので、しかたなく「ひきこもり」に戻っていました。今日のような曇りの日だとベランダでのんびりできますが……ときどき蚊が来るんですよねぇ……。