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Beが書いたもんどす

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天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
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#教会

疑似家族 -僕を育ててくれた人々-

父の失踪から約3年が経った頃、3歳になったばかりの僕は母に手を引かれ、初めて天理教の教会の門をくぐった。昭和も半ばを過ぎたある日の出来事だ。 (『邂逅』を参照) その日から数ヶ月前、入信して間もなかった信仰初代の母が修養科への入学を決意すると、同居していた母の父母(つまり僕の祖父母だ)は烈火の如く怒り、猛反対した。 「天理教みたいなもんに入るなら、孫はワシらが引き取って育てる」 とまで言われた母は、理の親である一理布教所長(当時)に相談した。 まだ歳若く独身だった布教所長が

復元の実とは何ぞや『祭儀研究委員会答申書』

教祖100年祭を翌年に控えた立教148年(昭和60年・1985年)、『みちのとも』11月号に「特集」【復元四十年 第一部】として、本部員、田邊教一氏による「神道とのかかわりの中で」と題された随想が掲載されました。 その中で田邊氏は「復元とは、単に復旧ではなく、元を極め、根源をたすねる所に、復元の意義がある」という二代真柱の言葉を引用した上で、 と述べました。 「復元」の何たるかをとても分かりやすく教内に示した文章であると思います。 その後、今日までに一般教会においても〆縄

かつてのBeテイストで「天理教の後継者問題」について語る

藤田一憲氏が7月9日のnoteに投稿した 『安倍元首相銃撃事件に思う』 と題した記事を読み、強い共感をおぼえた。この記事の中で藤田氏は と書いている。 この一文の中には宗教二世問題の本質を語る上でとても大切なものが含まれているように思う。 私はこの言葉をきっかけにして、再びこの問題を取り上げてみたいと思った。 以前に『宗教による無自覚な人権侵害』でも書いたが、安倍前総理射殺事件の際に、犯人の背景にある宗教2世問題の闇に多くの人が関心を持ったと思うのだが、続けて起きた「エホ

ええ加減にさらせ、コラ!

アホ丸出しの喋りをスペースで展開して以来、酔狂な方々から「相談にのってほしい」という「え。新手の詐欺か?」としか思えないDMが来るようになってん。 けど、それが真面目な相談やったからビックリして白目を剥いたわ。アカンがな僕にマジな相談したら。多分僕は相談相手としては最悪やで。屈折して偏向して、自意識過剰やから、自分でもわけ分からん人間やからね。 まさかテレフォン人生相談の加藤諦三先生のような適切なアドバイスなどできるはずもなく、最初はお断りしようとも思ってん。 そやけど某掲示

雑感....年祭と諭達と数値目標と別席とか

令和4年10月26日に『諭達』第4号が発布されました。 内容についてはここ何度かの年祭前に出されたものと大きく異なる部分は無く、強いて相違点をあげるなら表現の柔らかさが逆に気になった点でしょうか。「希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります」との言葉にも正直なところ、ちょっと拍子抜けしました。 まあ『天理教教規』第21条には とありますので、「希望もありましたので」という文言は間違いではないのでしょうが。 それはさておき、考えてみれば年祭の三年

陽気ぐらし試論

『みちのとも』6月号に教祖140年祭に向かう歩み方についての両統領によるインタビュー記事が掲載されました。 私の系統では大教会長から全部内教会長に対して「必ず読むように」との至上命令が降りました。なんだか「読まんかったらタダじゃおかんからな!」という勢いでした。 気の小さい私など「え。読まんかったらどうなるの?埋められちゃうの?沈められちゃうの?」と雨に濡れた子犬のようにブルブル震えましたよ。 もちろん届くや否や、襟も膝も正して拝読いたしました。いたしましたとも。これでも素

2022年最後のブッた斬り 『天理時報』新年号に掲載された表統領の新春インタビュー記事を受けての特別対談 「天理の教え」×「Be」

【糸満】こんにちは。司会の糸満シーサー健児です。 本日は天理の教えさんとBeさんにお越しいただき、『天理時報』新年号に掲載された表統領の新春インタビュー記事についてブッた斬っていただきます。 まず、記事を読んでどのような感想を持たれたか教えてください。 天理の教えさんからお願いします。 【天理の教え】天理の教えです。Beさん、よろしくお願いします。 最初に気になったのは という部分です。 このように認識しているなら、本部で反省点を洗い出し、問題点をしっかり検証したのかな?

まだ間に合うのだろうか

二代真柱が著した『おふでさき概説』に 「これ迄の先輩の歩みを習うと同時に、それが教祖の教えられた本筋に添っていないものならば、今からでも遅くはないから改めて貰いたい」 とあります。 この言葉について。天理大学おやさと研究所の辻井正和氏は と述べています。明治21年に遡って見直す(゚ロ゚;)ハッ!! 本当にそれが成されればお道は蘇るかも知れません。 教団の良心に期待するばかりです。 さて教勢が衰退する今、明治21年まで遡らずともその原因を見つめ直すことが喫緊の課題であるのは

言わずもがなの苦言

昨日『YOME-YOME Vol.8』の掲載内容について老婆心ながらおせっかいな苦言を呈したわけですが、そのあと更に別の号をペラペラとめくってると、とんでもない内容の記事を見つけてしまったのです。 あやうく白目むいてひっくりかえるとこでしたぞ。 あのさ、『YOME-YOME』の編集長は「多産DV」という言葉を知ってるかな? 女性が妊娠を望んでいないにもかかわらず、避妊せずに性交をして何人も子どもを生ませる性暴力のことですよ。たとえ夫婦であっても、望まない妊娠は大きな精神的苦痛